梶ケ島住吉神社(尼崎市) ・かつて海辺であった土地の由緒を伝える古社

梶ケ島住吉神社

2020年1月訪問
梶ケ島住吉神社(かじがしますみよしじんじゃ)は兵庫県尼崎市梶ケ島にある神社です。日本全国に約600社あり、大阪市住吉区にある住吉大社(摂津国一宮)を総本社とする住吉神社の一つとなっています。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
梶ケ島住吉神社(尼崎市)

100m少々東には大阪府との境がある、下町の静かな住宅地に鎮座している梶ケ島住吉神社は、社殿を見るとそれほど古さを感じさせませんが、かなりの歴史がある神社のようです。



歴史と概要

梶ケ島住吉神社の正確な創建年は不祥ですが、社伝によると、その始まりは3世紀初頭にまで遡るそうです。御祭神は住吉三柱(すみよしみはしら)の神と呼ばれる、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)のいわゆる住吉三神と、住吉三神と一緒に住みたく思われた神功皇后が、共に祀られています。

説明板には「日本書紀などによれば、神功皇后軍が住吉三柱神の御加護を得て国内を平定し、九州から機内に東遷する時、軍船団の一部が当時無名のこの地に停泊したその時の軍船団長(姓不詳)が、住吉三柱神の御守護のお礼に、軍船の舵を用いて御神像を三体彫刻し奉斉(御鎮座、三世紀初頭)せしめ、爾来この地を「梶ヶ島」と名付けられたと言われています。」と鎮座地である梶ケ島の由来についても書かれています。

なお、古い説明板では、住吉大社の祭祀氏族である津守連(津守氏)の祖とされる手揉宿禰(たもみのすくね。田裳見宿禰とも)が、彫られた御神像を奉斎したとも記されていたようです。


ちなみに、神功皇后が三韓征伐から凱旋された頃に創建されたとする神社は多く、兵庫県では廣田神社などが知られている他、和歌山県では丹生都比売神社が、大阪府では住吉大社や開口神社、坐摩神社(いかすりじんじゃ)、さらに大阪の南河内では河内長野市小山田の住吉神社に神功皇后が登場する別の由来があります。


梶ケ島住吉神社は永らく当地の氏神(産土神)として鎮座していたと考えられ、宝暦4年(1754年)には願主河内屋喜右ヱ門により石造の鳥居が建立されたのをはじめ、天保2年(1831年)には狛犬を、安政6年(1859年)には石燈籠が建立され、現在も境内に残っています。

明治時代の地図でも現在とほぼ同じ位置に鳥居のマークが確認できます。その後、第二次世界大戦では戦火により全焼しましたが、戦後間もなく復興に取り掛かり、昭和40年(1965年)に本殿、ならびに拝殿が再建されました。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
由緒書き

この辺りはもともと海で、淀川や神崎川が運ぶ土砂が堆積して形成された土地です。周辺にはこの「梶ケ島」のような島と付く地名をはじめ、駅名にもなっている「杭瀬」や「千船」など海に関連した地名が数多く残っています。



鎮座地は江戸時代まで摂津国川辺郡梶ケ島村と呼ばれ、西には杭瀬、北東には今福といった集落がありました。東には神崎川から分かれた左門殿川(さもんどがわ)が流れていますが、現在はこの川が兵庫県と大阪府の境となっています。この左門殿川という名称の由来は、江戸時代初期に尼崎藩主であった徳川家譜代の戸田氏鉄(うじかね)が神崎川支流の改修を行った功績を讃えて、後世氏鉄の通称である「左門」から呼ばれるようになったそうです。ちなみに本来の「左門」は官職名で宮中警護などにあたっていた「左衛門府」の略。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
御祭神の説明板

住吉三神は「海の神」や「禊(お祓い)の神」として信仰されています。説明板には「海は生命の源であり、禊という行為は水をもって生命力を更新するものですから、住吉三神は『生命』そのものを守護育成される神として崇められてきました。」とあり、当社の御神徳としてお祓い、航海安全、学問の道、産業育成(商売繁盛)等の守護神として古くから崇敬されているそうです。

梶ケ島住吉神社は神職不在神社で、現在は250mほど北西にある杭瀬熊野神社の兼務社となっています。

境内

梶ケ島住吉神社の社殿や鳥居はほぼ南西を向いていて、境内は平坦な土地で幅約25m、奥行き40m弱の少し菱形のような形になっています。北(北東)側にあたる奥の本殿裏側には住宅が建っていますが、それ以外の面は玉垣がめぐらされており、外周に沿って何本か木が植えられています。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
南側にある鳥居

境内の入口は東西と南側の3ヶ所ありますが、鳥居が建っているのは南側だけです。鳥居には「寶暦四甲戌年八月吉日」と彫られています。

境内中央は広場の様になっていて木々同様に建物なども外周に沿うような形で配置されています。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
東側の手水舎など

鳥居をくぐると、右手に説明板や手水舎があります。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
西側の社務所など

左手には梶ケ島の集会所(参集殿?)のような建物があります。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
真新しい手水舎

緑の屋根の手水舎はまだ新しいようです。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
手水鉢と井戸

手水舎には左に手水鉢、右に井戸がありますがこれらも歴史ある物のようです。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
拝殿

鳥居から真っすぐ進むと正面に拝殿があります。本殿、並びに拝殿は昭和40年に再建されたものです。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
狛犬

拝殿前には狛犬がありますが、こちらは天保2年に奉納されたものです。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
拝殿の額

拝殿には「住吉神社」の額が掲げられています。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
拝殿内部

拝殿内部は簡素な造りで、この時は「奉祝 天皇陛下御即位」の懸垂旗がありました。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
本殿

拝殿裏の本殿は、周囲の地面に対してかなり高いコンクリートの土台の上に建てられています。当社の南東60~70mの距離には神崎川から分かれた左門殿川の非常に高い堤防があります。尼崎市のホームページによると、市域の三分の一が海抜ゼロメートル地帯(海面より海抜が低い)そうで、国土地理院のWeb地図によると梶ケ島住吉神社付近の海抜は-1.2mほどとなっていることから、この本殿の高さも水害対策の意味があるのかもしれません。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
「安政六己未九月吉日」と彫られた燈籠

前出の狛犬をはじめ、境内には江戸時代の石造りの鳥居や燈篭がいくつか残っており、梶ケ島住吉神社の歴史を感じさせます。

祭礼

例祭は10月10日頃ですが、年末年始にはカウントダウンや元旦祭、1月中旬のどんと祭などが地元梶ケ島の方々によって続けられているようです。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
西暦表記のみのお祭り案内

●尼崎神社あんない 梶ケ島住吉神社 →http://www.ama-jinja.org/25-sumiyosi.html

アクセス

阪神本線「杭瀬」駅から線路の北側に沿って東(左門殿川・梅田方面)に向かい、最初の信号を直進し、二つ目の角を左折すると40mほど先の右手に神社があります。駅の出口からの距離は約300mです。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
阪神電車側(南西)より

国道2号線からは、左門殿川に架かる左門橋の西詰からさらに100mほど西にある「左門橋」交差点を南に入ります。約300m進み、堤防へ上る坂の手前を右折すると30mほどで神社の前に出ます。

梶ケ島住吉神社(尼崎市)
注連柱のある東側入口

梶ケ島住吉神社には駐車場がないので、「杭瀬」駅周辺のコインパーキング(線路の南側に多い)を利用すると杭瀬熊野神社なども近く、参拝に便利かと思われます。

Kajigashima-Sumiyoshi Shrine(Amagasaki City,Hyogo Prefecture)


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