埴生野神社(羽曳野市) ・「はびきの」発祥の地を護る氏神

埴生野神社

2021年1月訪問
埴生野神社(はにゅうのじんじゃ)は大阪府羽曳野市はびきのにある神社です。羽曳野市北西部を東西に横切る幹線道路の府道31号堺羽曳野線から少し南の静かな住宅地の中で児童公園や地区会館に挟まれる形で鎮座しています。

埴生野神社(羽曳野市)
埴生野神社(羽曳野市)

社名の「埴生野」は当社周辺を指す古くからの地名ですが、現在の羽曳野市の市名誕生にかかわる伝説にも登場しています。


歴史と概要

埴生野神社には説明板や由緒記もなく、正確な創建年などは不祥です。御祭神は、境内の立て札に天照大神、事代主神、菅原道眞朝臣とあります。

大正時代に刊行された大阪府全志によると、天照皇大神、菅原道真、事代主大神を祀る「埴生神社」が埴生村大字埴生野字宮林にあったと記されていることから、この埴生神社が埴生野神社の前身と思われます。埴生神社は明治40年(1907年)10月14日に当時の高鷲村大字北宮(現羽曳野市高鷲)の式内社、大津神社に合祀されました。その後、昭和27年(1952年)に大津神社の境外末社として現社地に再建されたようです。

埴生野神社は神職不在神社です。

埴生野神社(羽曳野市)

埴生野と羽曳野

埴生野神社周辺の歴史を振り返ると、当地は古代の丹比道(たじひみち)、後の竹内街道(日本最古の官道とされます。)の通る地ということもあって、当社から800mほど西には第16代仁徳天皇の第一皇子である去来穂別(いざほわけ。後の第17代履中天皇)が住吉仲皇子に襲われ難波宮から大和国に逃れる際に振り返って宮殿が焼けるのを見て歌を詠んだという埴生坂(はにゅうざか。波邇賦坂とも)があります。この埴生坂は、日本書紀の大化5年(649年)3月条にみえる丹比坂と同一とする説もあるようです。

現在、大阪府南河内地域の羽曳野市、藤井寺市、堺市美原区、富田林市、河内長野市にまたがる洪積台地は羽曳野丘陵(はびきのきゅうりょう)と呼ばれていますが、その丘陵の北部、西部の標高50~80m付近はかつて埴生山や羽曳山と呼ばれていました(これらはもっと広く羽曳野丘陵を指すこともあったようです。)。

埴生野、羽引野原などと呼ばれた羽曳山(埴生山)北西の麓の土地を、宝暦年間(1751年~1764年)頃に手塚采女などが開発して埴生野新田という村が出来たようで、その鎮守として勧請されたのが埴生神社と思われます。村内には中新田、東新田、西新田といった字地がありましたが、現在埴生野神社が鎮座しているのは東新田集落の南西に当たるようです。

村は明治時代の初め頃までは河内国丹南郡埴生野新田と呼ばれていましたが、明治22年(1889年)に同じく丹南郡の伊賀村、向野村、野々上村と合併して埴生村(はにゅうむら)となり、明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡に変更されます。昭和31年(1956年)に埴生村は、古市町、高鷲町、丹比村、西浦村、駒ヶ谷村と合併して南大阪町が発足しますが、翌年には旧丹比村の一部(多治井)が美原町(現堺市美原区)に編入され、昭和34年(1959年)、南河内郡南大阪町が市制施行し南大阪市となり、即日改称して羽曳野市が誕生しました。

現在、埴生野神社の鎮座地周辺の住所表記は「羽曳野市はびきの」となっていますが、明治時代頃までは「埴生野」と書いて「はびきの」とも呼んでいたようです(埴輪の「埴(はに=黄赤色の土)」と生糸の「生(き)」)。ちなみに、現在の市名の羽曳野(はびきの)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、伊吹山の神との戦いに敗れ力尽き、白鳥と化した日本武尊の魂が埴生の丘に向かって羽を曳くように飛び去ったとされる「白鳥伝説」から付けられた市名とされています。なお、日本武尊白鳥陵古墳(軽里大塚古墳)は当社から約1.3km南東にあります。

現在は旧埴生村の村域に新たな町名が作られていますが、羽曳野市南西部(道の駅 しらとりの郷羽曳野付近)に「埴生野」と書いて「はにゅうの」と読む行政地名が残っている他、旧埴生村の村域周辺に「埴生」と付く学校や施設、バス停などを見ることが出来ます。

また、当社周辺地区には「羽曳山地車」があり、秋の祭礼時には前出の大津神社に宮入しているようです。だんじり小屋は埴生野神社の東南東約250m付近にあります。

●羽曳山地車保存会 Instagram →https://www.instagram.com/habikiyama_danjiri/?hl=ja


境内

埴生野神社の境内は東西約20m、南北12m前後となっており、入口は東側の道路に面しています。

埴生野神社(羽曳野市)
玉垣の奥に見える社殿

東側は道路ですが、北側は埴生野町会会館、南側は新田児童遊園、西側は住宅となっていて北側以外は玉垣で囲われているようです。

埴生野神社(羽曳野市)
鳥居

社殿、参道、鳥居はほぼ東向きとなっています。

埴生野神社(羽曳野市)
分岐する参道

鳥居をくぐると石畳の参道が奥に続いていますが、すぐに境内社へ至る右側(北側)への分岐があります。

埴生野神社(羽曳野市)
拝所

本殿への参道を進み短い石段を登ると拝所となっています。詳しい由緒記などはありませんが、右側にご祭神を記した立札があります。

埴生野神社(羽曳野市)
狛犬と石灯篭

参道を少し戻り、本殿に向かって右手にある境内社に向かいます、

埴生野神社(羽曳野市)
境内社への参道

こちらは朱色の鳥居が並ぶ稲荷社となっています。

埴生野神社(羽曳野市)
稲荷社

本殿よりやや奥まったところに鎮座するこの境内社には、すがはら大明神、すがそ大明神、はくが大明神、白玉大明神、白梅大明神、五社大明神が祀られているようです。

埴生野神社(羽曳野市)
新田児童遊園

埴生野神社の南側は新田児童遊園という公園になっており、埴生野「新田」の名残を見ることができます。

埴生野神社(羽曳野市)
埴生野町会会館

また、北隣の埴生野町会会館の入口右手に祠がありますが、こちらの御祭神など詳細は不明です。


埴生野神社は神職不在の神社ながらしっかり手入れされているようで、大津神社から復社した後も町内の人々により大切にされている神社と感じられました。

埴生野神社周辺では、300mほど北東に野中寺と野々上八幡神社前があります。また、埴生野神社の100m少々北を通る竹内街道沿いには、羽曳野市内だけで西に日吉神社や八王神神社、東に軽羽迦神社白鳥神社杜本神社などがあります。

アクセス

野中寺や野々上八幡神社前の府道31号「野中寺」交差点から南に進み、約300m先の交差点(竹内街道や羽曳野野々上郵便局の少し南)を右(西)に入ります。ここからは道幅の狭い箇所やクランクもありますが200mほど進むと左手に埴生野町会会館が見え、さらにその左に埴生野神社があります。参拝者用の駐車場は無いようです。

公共交通機関では、近鉄南大阪線「藤井寺」駅などから近鉄バスに乗り、前出の「野中寺」交差店のすぐ南にある「野々上」バス停で下車。200m少々南の交差点右(西)に入り、道なりに約200m進むと左手に埴生野町会会館や埴生野神社が見えてきます。

Hanyuno Shrine(Habikino City,Osaka Prefecture)


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