軽羽迦神社(羽曳野市) ・白鳥陵古墳からも近い竹内街道沿いにある軽墓村の村社

軽羽迦神社

2017年8月訪問
軽羽迦神社(かるはかじんじゃ)は大阪府羽曳野市軽里にある神社です。近鉄の古市駅から竹内街道を西へ進み白鳥陵古墳(軽里大塚古墳)を越えてしばらく行くと、国道170号(外環状線)に出る手前で当社を見つけることが出来ます。

軽羽迦神社(羽曳野市)
軽羽迦神社(羽曳野市)

三柱の御祭神が祀られている軽羽迦神社の鎮座地は、かつて賑わっていたであろう竹内街道沿いの古くからの街並みの中にあり、今は静かな環境の中に佇む神社となっています。



歴史と概要

軽羽迦神社の正確な創建年は不祥です。羽曳野市のホームページなどによると、当社が現在の地に建てられたのは第二次大戦後で、もともとは白鳥陵古墳の濠の横の祠に祀られていたそうです。もう少し詳しく見ると、明治時代の末に1km少々北東の誉田八幡宮に合祀され、戦後の昭和24年(1949年)に白鳥陵古墳の西の現在地に復社しました。今でも白鳥陵古墳の濠の横には小さな祠が残っているそうですが、今回は発見できませんでした。

軽羽迦神社(羽曳野市)
軽羽迦神社の社名碑

この「軽羽迦(かるはか)」という名前は、付近の軽里(かるさと)という地名や古墳(陵=はか)と関係しているのかと思い調べてみると、この辺りは昭和の初めまで軽墓(かるはか)という地名で、それが後に軽里になったそうです。

その「軽墓」は日本武尊(やまとたけるのみこと)の仮の墓がなまって軽墓となったという説や、「軽」は軽皇子(かるのみこ)など歴史上何人か存在する「軽」が付く重要人物の名に由来する説があるようです。特に、旧軽墓村の西部にある峯ヶ塚古墳が第19代允恭天皇の第一皇子であった木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)の墓であり、木梨軽皇子の墓が軽墓村の語源であるという説は大阪府全志にも記載されています。なお、現在の愛媛県四国中央市にある東宮山古墳も木梨軽皇子の墓といわれ、こちらは宮内庁陵墓参考地に治定されています。


鎮座地周辺は明治の初めまでは河内国古市郡軽墓村でしたが明治22年(1889年)に誉田村、碓井村とともに古市村に編入されました。その後古市郡は他と合併して南河内郡になり、古市村も古市町になりました。明治の終わりごろの当社鎮座地は南河内郡古市町大字軽墓字白鳥となっており、「天照大神社」と称し天照大神、水分神、伊弉那美命を祀っていたようです。天照大神社は明治40年(1907年)11月11日に当時の古市町大字誉田の誉田神社(現誉田八幡宮)に合祀され、昭和24年に現社地に復社しました。

軽羽迦神社(羽曳野市)
境内の様子

現在の軽羽迦神社の主祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)で、蔵王権現(ざおうごんげん)と熊野権現(くまのごんげん)の二神を合祀し、合計三柱の神を祀っていますが、合祀前の御祭神は天照大神、水分神、伊弉那美命との表記だったようです。なお、すぐそばに陵のある日本武尊は祀られていません(南河内では古市駅隣の白鳥神社や現松原市別所の熱田神社で祀られています)。

軽羽迦神社(羽曳野市)
鳥居と本殿

蔵王権現は神仏習合により安閑天皇と同一視されていましたが、その安閑天皇の陵は当社から南東に1kmほどしか離れていません。安閑天皇は以前訪れた堺市美原区にある広国神社の主祭神でもあり、古市の高屋神社白鳥神社でも祀られています。

ちなみに、全国的に有名な宮城県と山形県との県境にある蔵王連峰(蔵王山)に鎮座する刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、かつて蔵王大権現社と呼ばれていましたが明治新政府が神仏判然令(神仏分離令)を出すと水分(みくまり)神社、さらに刈田嶺神社へと改称。御祭神である蔵王大権現も蔵王大神に改号し、後に蔵王大神とは天水分神と国水分神の2柱であると解釈されるようになったようです。


熊野権現とは紀州熊野三山の御祭神である神々のことで、熊野三所権現の熊野夫須美大神が伊弉那美命とされることから現在の御祭神となっているのかもしれません。熊野権現については松原市新堂の十二社権現宮、大阪狭山市今熊の三都神社などの記事でも触れています。


境内

軽羽迦神社は竹内街道の北側に南向きに鎮座しています。敷地としては幅20m、奥行き30mほどかと思われますが、明るく手入れの行き届いた印象でした。鳥居は竹内街道沿いと本殿前にありますが、入口の鳥居と違い本殿前の鳥居や灯篭は古そうでした。

軽羽迦神社(羽曳野市)
本殿前の灯篭

軽羽迦神社(羽曳野市)
本殿前の鳥居の銘文

本殿の周りは塀で囲われていますので、直接は見られませんでしたが立派な屋根は見えます。

軽羽迦神社(羽曳野市)
本殿の屋根

本殿に向かって右に建物がありますが、神職不在の神社のようなので御朱印などはなさそうです。本殿左側には稲荷神社があります。

軽羽迦神社(羽曳野市)
稲荷神社

なお、羽曳野市内の竹内街道沿いには、当社の他に野の日吉神社、八王神神社白鳥神社杜本神社などがある他、約1km北西には埴生野神社があります。また、800mほど南南西には西浦日吉神社もあります。


祭礼

軽羽迦神社は軽里地区の氏神ということで毎年10月に秋祭りが執り行われ、地車(だんじり)が出ます。

軽羽迦神社(羽曳野市)
「稲荷大明神」と彫られた灯篭

アクセス

公共交通機関では近鉄南大阪線・長野線「古市」駅から西に約1kmです。具体的には駅の改札を出て階段を下り、右に少し進むと国道170号線(旧道)の「白鳥」交差点に出るので左折します。100mほど進むと右に「仁賢天皇 清寧天皇 日本武尊御陵参拝道」の石碑の立った細い道の入口があります。それが竹内街道なので赤く舗装された住宅街の中の道を西に進むと左手に大きな濠と日本武尊白鳥陵古墳が見えます。少し先に「ウォーキングトレイル」と書かれた付近の地図・案内板があり、さらに200mほど歩くと右に軽羽迦神社が見えます。

軽羽迦神社(羽曳野市) 竹内街道への入口
170号線(旧道)から竹内街道へ

車では国道170号線(外環状線)の「軽里北」交差点を東(古市駅方面)へ進み、国道170号線(旧道)の「白鳥」交差点周辺にいくつかあるコインパークを探し、前述の竹内街道入口を見つける方が分かりやすいかと思われます。

なお、当社の南には清寧天皇陵、北西には仁賢天皇陵、西に峯ヶ塚古墳、北に青山古墳などの古墳があります。また、250mほど北東には石器時代について学べる「翠鳥園遺跡公園 石器人のアトリエ」があります。

Karuhaka Shrine(Habikino City,Osaka Prefecture)


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