清寧天皇陵(羽曳野市) ・生来白髪の大王を祀る古墳

清寧天皇陵

2019年5月訪問
清寧天皇陵(せいねいてんのうりょう)は、大阪府羽曳野市西浦にある前方後円墳で、河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)として、宮内庁により第22代清寧天皇の陵に治定されています。また、考古学的な遺跡名としては「白髪山古墳」と呼ばれています。

清寧天皇陵(羽曳野市)
清寧天皇陵(羽曳野市)

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産への登録も有力視される百舌鳥・古市古墳群の内、古市古墳群に属する古墳で、同古墳群の南西端にあります。

※令和元年(2019年)7月6日午後に、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録が決定しました



歴史と概要

清寧天皇陵(白髪山古墳)が築造されたのは、出土した円筒埴輪の破片の特徴などから、6世紀前半頃と考えられています。前方部を西南西に向けたこの古墳は、石川から西に約1.3kmの距離にあり、その間には安閑天皇陵春日山田皇女陵日本武尊白鳥陵、北北西1km弱には仁賢天皇陵、北東約1.7kmには応神天皇陵があります。



清寧天皇陵の規模は、墳丘長約115m、前方部の幅約128m、高さ約11m、後円部の直径約63m、高さ約10.5mとなっています。この古墳の特徴としては、前方部の幅が後円部の幅の約2倍と、前方後円墳としてはかなり前方部が発達した形態で、これは墳形の最終段階を示すものと考えられているそうです。

古墳の周囲には水を湛えた濠(周濠)がありますが、地形的な問題のため、前方部の左右(南北)に水量調整用の土手が築かれていて、古墳に渡る橋のようも見えます。発掘調査では外側にも濠の跡が確認されており、濠が二重だったことが判明しています。

清寧天皇陵(羽曳野市)
拝所の標

拝所は古墳西側の前方部にあり、くびれ部の北側には造出しがあります。戦国時代頃には西之浦城という城塞として利用されていたとも。

古市古墳群の他の古墳と同じく、周囲は民家や店舗などと密着する形で、東側の後円部の堤は国道170号(外環状線)に接しています。

清寧天皇

第22代清寧天皇は御名を白髪(しらか)といい、第21代雄略天皇の子(第3皇子)で、第19代允恭天皇の孫に当たります。和風諡号は白髪武広国押稚日本根子天皇(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)となっています(古事記では白髪大倭根子命)。御名などに見られる「白髪」は、清寧天皇が生まれつき白髪だったからといわれています。都は磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)で、これは現在の奈良県橿原市東池尻町の御厨子神社が伝承地といわれています。

皇子がいなかったため、清寧天皇は父である雄略天皇が殺害した市辺押磐皇子(雄略天皇の従兄弟)の子である億計(おけ)王と弘計(をけ)王の兄弟を播磨から迎え、億計王を東宮に、弘計王を皇子としました。兄弟は皇位を譲り合ったともいわれ、後に弘計王は第23代顕宗天皇に、億計王は第24代仁賢天皇となります。清寧天皇は清寧天皇5年正月に40歳前後で崩御されました。

古墳外周

清寧天皇陵は国道170号(外環状線)に接しているので幹線道路からもよく見えますが、拝所は反対側にあります。

清寧天皇陵(羽曳野市)
拝所

明治時代の地図では清寧天皇陵の北に軽墓(今の軽里)集落が、南に西浦集落があって、軽墓を通る竹内街道の白鳥陵と軽羽迦神社の間から南に延びる曲がりくねった道で拝所に行くことが出来たようですが、現在は峯ヶ塚古墳前から南に真っ直ぐ行くと拝所に着きます。

清寧天皇陵(羽曳野市)
南西角のマンション越しの景色

今は古墳の周囲を住宅などに囲まれているので、民家や店舗の駐車場、道路からも直接古墳を見ることが出来ます。

清寧天皇陵(羽曳野市)
古墳北側(2018年12月)

東側の後円部からの方が、周濠のそばから古墳を見学できるポイントが多いようです。

清寧天皇陵(羽曳野市)
古墳東側(2018年12月)

数字だけ見ると、近くの白鳥陵ほどではないと思われるかもしれませんが、近くで見るとしっかり水を湛えた濠と立派な墳丘の美しさを感じることが出来ます。

清寧天皇陵(羽曳野市)
拝所の向かい

宮内庁管理の陵の駐車場(使用はできません)は、拝所の向かい(西)にあります。

当古墳周辺には前述の御陵以外にも約400m北の峯ヶ塚古墳や約700m西北西の塚穴古墳(来目皇子墓)といった古墳、約400m南西の西浦日吉神社や約400m北の軽羽迦神社、約1.2km北西の埴生野神社といった神社があります。

陪塚

清寧天皇陵の墳丘主軸の東延長線上、外環状線を越えた辺りには同時期に造られたとみられる小白髪山古墳があります。宮内省時代に「清寧天皇河内坂門原陵い号陪冢」に指定されており、こちらが清寧天皇陵の陪塚(ばいづか・ばいちょう)であるとすれば、形態が前方後円墳という珍しい陪塚ということになります。

清寧天皇陵(羽曳野市) 小白髪山古墳
小白髪山古墳(2017年7月)

墳丘長は約46m、高さ約4.5mで、幅10mほどの濠もあったようです。現在、周囲は前方後円墳の形に沿って作られたフェンスで囲まれていますが、道に面しているので近くから見学することができます。

アクセス

徒歩、車いずれの場合も、近鉄南大阪線「古市」駅西口から約850m西の国道170号(外環状線)「軽里北」交差点を目指します。

「軽里北」交差点を西に入り、LICはびきの前、フラワー竹内街道軽里店の角を左折し、500mほど進むと左手に拝所があります。

清寧天皇陵に駐車場は無いので、峯ヶ塚古墳隣の峯塚公園付近のコインパーキングを利用すると近いです。

清寧天皇陵(羽曳野市)
仁賢天皇清寧天皇日本武尊御陵参拝道の石碑

また、「古市」駅から国道170号(旧道)に出て、「白鳥」交差点から80mほど南に行くと、赤っぽい色で舗装された竹内街道へ入れます。ここには古い「仁賢天皇 清寧天皇 日本武尊御陵参拝道」の石碑が建っています。ここから竹内街道を堺方面へ進めば、日本武尊陵(白鳥陵)の北側を通り、その先で左に行けば清寧天皇陵、直進して右に曲がれば仁賢天皇陵を参拝できます。

Mausoleum of Emperor Seinei(Habikino City,Osaka Prefecture)


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