丹生酒殿神社
2021年11月訪問
丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)は和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷にある神社です。紀の川左岸(南岸)の集落に鎮座し、すぐそばには高野山への入口の一つである「三谷坂」があることから、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する資産「高野参詣道」の一つとして、当社を含む「三谷坂」が登録されています。また、同じく丹生酒殿神社を含む「三谷坂」は国の史跡「高野参詣道」を構成する資産としても指定されています。
丹生酒殿神社(伊都郡かつらぎ町) |
丹生酒殿神社の境内には樹齢300年以上といわれるイチョウの巨木があり、毎年葉が色づく晩秋になると、見事な黄葉と黄色い落ち葉の絨毯が敷き詰められた美しい境内の風景を楽しむ参拝者で賑わいます。
歴史と概要
丹生酒殿神社の正確な創建年は不祥ですが、天平年間(729年~749年)に記されたという「丹生大明神告門(にうだいみょうじんのりと)」によると、丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)は神代この紀伊国奄田(三谷)に降臨し、氏神として奉られたそうです。丹生都比売大神降臨は崇神天皇、あるいは応神天皇の時代ともいわれ、この時の地主神である竈門明神が酒を造り、初めて神前に供えたことが「酒殿」という名の由来とも言われています(丹生都比売大神が民に農耕や、糸を紡ぎ機を織る事、煮焚の事など教えるとともに、木の川(紀の川)の水で酒を醸したとも)。
ちなみに、紀伊続風土記には丹生都比売大神降臨の地として、丹生酒殿神社境内後方の榊山を超えた谷にある七尋滝が記されています。
当社周辺を見ると、3kmほど南に鎮座し当社とも関係の深い丹生都比売神社(式内社・官幣大社)をはじめ、丹生官省符神社などいくつかの丹生神社がありますが、全国には88社の丹生神社があるとされています。また、丹生都比売大神を祀る神社は108社、摂末社を入れると180社余を数え、丹生都比売神社がその総本社となっています(南河内では青賀原神社など)。
御祭神は丹生都比売神社と同じく4つの社殿に祀られています。しかし、主祭神である丹生都比売大神と、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)は丹生都比売神社と共通していますが、他の2座は誉田別大神(ほんだわけのおおかみ)と建御名方命(たけみなかたのみこと)が祀られています。また、これら4柱の御祭神以外にも合祀されている神があります(後述)。
丹生都比売大神(丹生明神)と高野御子大神(狩場明神)は「空海(弘法大師)に高野山を授けた神」としてこの周辺ではよく祀られているようです。丹生都比売大神は天照大御神の妹神とされ稚日女命とも呼ばれており、高野御子大神は丹生都比売大神の御子神で「高野山」の名称の由来と伝わっています。誉田別大神は第15代応神天皇のことで八幡神とされ、建御名方命は大国主神の御子神で諏訪明神とも呼ばれています。
●丹生都比売大神と高野御子大神について詳しくは →丹生都比売神社(伊都郡かつらぎ町) ・弘法大師ゆかりの高野を守護する女神の社
なお、社殿には拝殿から見て右の小祠に諏訪明神、八王子神。本殿右坐に丹生都比売大神、中坐に高野御子大神、左坐に誉田別大神(鎌八幡宮)と市杵島比売大神(厳島明神)が祀られています。また、境内には榊山神社と鎌八幡宮の御神木が祀られています。
丹生酒殿神社は明治6年(1873年)4月に近代社格制度で村社に列格しましたが、昭和10年(1935年)6月18日に丹生都比売神社に摂社として合併されました。そして第二次大戦後に独立・復社しています。
平成7年(1995年)9月9日の式年遷宮祭の3年後、平成10年(1998年)9月22日の台風では鎮守の杜をはじめ神域が甚大な被害(特に中坐と左坐)を被りましたが、平成12年(2000年)9月18日に復旧の遷座祭が執り行われました。
当社の西側には三谷から丹生都比売神社が鎮座する天野を経て高野山に至る参詣道の起点があることから、平成28年(2016年)、当社も「高野参詣道 三谷坂」として世界文化遺産に登録されました。
二の鳥居横の案内板 |
境内(本殿前)には、文化元年(1804年)に世界で初めて全身麻酔を用いた乳がん手術に成功した華岡青洲の石燈籠があります。これは天保5年(1834年)、青洲74歳の時に寄進したもので、長年の神仏の加護に感謝の意を表したものとされています。
和歌山県神社庁のホームページによると、丹生酒殿神社の現在の氏子地域は伊都郡かつらぎ町大字三谷、兄井、寺尾となっています。
境内
現在、丹生酒殿神社に参拝する場合は、県道13号和歌山橋本線から参道を南に進む方が多いかと思われますが、参道は県道よりも北の紀の川沿から続いているようです。
紀の川堤防より(中央が神社の銀杏) |
かつらぎ町立三谷こども園前の道路を北に進むと堤防の上に出ますが、ここから南を向くと約250m先の丹生酒殿神社まで参道がほぼ真っすぐ延びていることがわかります。
「天野大社摂社 丹生酒殿神社」碑 |
堤防上の「参道入口」左側には自然石を利用したような石碑(社号標?)が建っています。こちらには「天野大社摂社 丹生酒殿神社」と彫られているようです。
県道から見た一の鳥居 |
県道から参道を南に20m少々進むと一の鳥居があります。こちらの鳥居は、兄井にあった鎌八幡宮(元宮)から移されたと考えられているそうで、合祀の際に元宮の鎌八幡宮御神木に奉献されていた(刺さっていた)鎌をその鳥居下に埋めたと伝えられているそうです。
参道の先の大銀杏 |
一の鳥居からはしばらく集落内を通ります。
神社前より紀の川方面を望む |
神社手前で振り返ると、参道とその先の堤防、和泉山脈が見えます。
二の鳥居と大銀杏 |
一の鳥居から100mほどで境内の入口に建つ二の鳥居があります。
環境省の巨樹・巨木林調査報告によると、当社の大イチョウは樹齢300年以上とされ、その幹周りは526cm、高さ25m、枝張り20mとされ、神社が周辺集落よりもやや小高い場所にあるため、紀の川の堤防沿いなど多少距離が離れた場所からでも見ることが出来ます。
社号標と灯篭 |
二の鳥居前には社号標、一対の石灯篭、右手には三谷坂への案内板などもあります。
駐車場入口(左にトイレ) |
左手には参拝者用駐車場の入口がありますが、銀杏が見頃の時期は閉鎖されており、公民館の駐車場を利用する旨の貼り紙がありました。なお、奥のトイレは利用出来ます。
手水舎と百度石 |
二の鳥居をくぐると左手に百度石、右手に手水舎があります。
銀杏の葉が浮かぶ水盤 |
訪問時は水盤にも黄色いイチョウの葉が浮かんでいました。
「銀杏の絨毯」と拝殿 |
手水舎から拝殿までの参道右側にイチョウの木があります。このイチョウの根元には「境内を黄に敷きつめて大いちょう」と刻まれた句碑が建てられています。
拝殿入口 |
拝殿は横長の割拝殿のようになっています。
拝殿の額 |
拝殿の額は「正一位勲八等丹生大神」と「正一位勲八等狩場大神」と書かれているのでしょうか。ちなみに、紀伊国神名帳(成立不祥)には伊都郡天神として「正一位丹生高野御子神」と「正一位勲八等丹生津比咩大神」の名が見えます。
拝殿奥の石段と鳥居 |
拝殿の奥に賽銭箱などがあり、通常はここで参拝することになります。
拝殿奥からは、石段の上の一段高い場所に三の鳥居と狛犬、石灯篭などがあり、さらにその先に横一列に並んだ本殿が見えます。
拝殿から見た本殿 |
本殿を詳しく見ると、正面の鳥居奥に春日造(木造銅瓦春日造)の社が二棟並び、その左に少し大きな流造(木造銅瓦流造)の社があります。二棟の春日造の本殿の内、右側の社殿(右坐)に丹生都比売大神、左側の社殿(中坐)に高野御子大神、さらにその左側の流造の社殿(左坐)に誉田別大神(鎌八幡宮)と市杵島比売大神が祀られており、丹生都比売大神の社の右側にある小祠に諏訪明神、八王子神が祀られているようです。
「巡寺八幡」の絵馬など |
拝殿内右側には鎌八幡宮の「お知らせ」の他、兄井地区から熊手などと共に当社に移された、かつて高野山で行われた八幡神の御神体を巡寺する祭「巡寺八幡」の様子を描いた絵馬が掲げられています。この絵馬はレプリカですが、本物も当社にあるそうです。
拝殿内の掲示物 |
拝殿内には他にも様々な周辺の情報が掲示されています。
東側から見た境内(左に社殿) |
境内の大イチョウは平成29年(2017年)4月27日に「丹生酒殿神社の大銀杏」として、かつらぎ町の天然記念物に指定されています。
鎌八幡御神木と榊山神社
次に、境内にある鎌八幡宮の御神木と榊山神社に参拝します。
「鎌八幡」の碑 |
鎌八幡宮の御神木に参拝するには、拝殿前から右(西)に進みます。拝殿前の御由緒下の石には「鎌八幡」と刻まれているようなので、旧社地から移されたものかもしれません。
鎌八幡宮の社号標と参道 |
拝殿の右端、小さな公園との間に鎌八幡宮御神木への参道があります。
説明板・手水鉢・鳥居 |
少し進むと説明板や手水鉢、鳥居などが見えて来ます。
説明板 |
鎌八幡宮では無病息災、子宝、受験など様々な御神徳があるとされていますが、「鎌を刺す」というイメージから誤解されることも多いようで、説明板には「鎌八幡宮(お願い)」と題して、こちらでは怨恨や縁切り等の願掛けは受け付けていない旨が書かれています。
鎌八幡宮手水鉢 |
鎌八幡宮の手水鉢はそれなりに古い印象でした。
鎌八幡宮鳥居 |
鎌八幡宮御神木前に建つ石造りの鳥居も合祀時に元宮の鎌八幡宮から移されたもののようで、柱の後方に「文化六巳年建立」、「金光院真尊謙上」の銘があるようです(金光院は高野山一心谷にある行人方の格式ある寺院)。
御神木への参道 |
鳥居をくぐって少し坂を上れば御神木が見えて来ます。
鳥居と御神木 |
現在は鎌の代わりに用いられる絵馬掛けが正面にあり、右手に石段、その上に石造りの鳥居、賽銭箱、そして御神木があります。
丹生酒殿神社本殿の裏にある鎌八幡宮は、もともと讃岐国多度郡屏風浦(現香川県仲多度郡多度津町)に鎮座する熊手八幡宮から弘法大師が高野山に勧請したと伝えられています。明治2年(1869年)、神仏分離により伊都郡兄井村(現伊都郡かつらぎ町大字兄井)へ遷座し鎌八幡宮(元宮)として祀られ、明治42年(1909年)9月5日に、三谷村(当時)の当社境内の許可を受け、同年10月13日に(諏訪明神と共に?)合祀されました。
打ち込まれた鎌の様子 |
現在、八幡宮の御祭神である誉田別大神は社殿の左座にて祀られていますが、こちらには寺尾村(現伊都郡かつらぎ町大字寺尾)から遷座された市杵島比売大神(厳島明神)も合祀されています。鎌八幡宮は、社殿裏手のイチイガシの大木を御神木とし、祈願成就のため鎌を打ち込んだことからその名で呼ばれています。木に打ち込んだ鎌は祈願成就の際は幹に食い込んで行き、不成就の時は脱け落ちると伝えられていますが、平成29年度(2017年度)より御神木保護のため絵馬を奉納することになっています。
なお、現在丹生酒殿神社から約1.3km西にある兄井の諏訪明神社のそばに鎌八幡宮の元宮が残されています。
榊山神社鳥居 |
一方、拝殿前から左に進むと見えてくるのが榊山神社です。この社名は背後の山から付けられたと思われます。
榊山神社の社殿 |
こちらは、丹生酒殿神社の近隣地区の護国の英霊56柱を祀る神社です。鳥居の右手にある石碑には合祀されている護国の英霊の名が刻まれています。
榊山神社側から見た本殿 |
なお、鎌八幡宮御神木や榊山神社からは丹生酒殿神社本殿を別角度から見ることが出来ます。
三谷坂
最後に、高野山への参詣道の一部として世界遺産に登録された三谷坂に向かいます。
三谷坂の石標 |
境内入口の大きな鳥居の前から案内板に従って西に進みます。
西側から見た大銀杏 |
午後にイチョウを見る場合は、こちらの西側から見ると光の当たり具合が良いと思われます。
三谷坂起点 |
丹生酒殿神社から60mほど西に歩くと見えてくる「天野大社参道」と彫られた石標から南の山へ続く道が「三谷坂」です。「宮滝(宮の滝)」もこの先にあるようです。
アクセス
JR西日本和歌山線の「妙寺」駅前から国道24号を東に進み、約500m先の交差点を右折します。県道110号三谷妙寺停車場線を南に800mほど進み(途中三谷橋で紀の川を渡ります)、「三谷」交差点を右折して県道13号和歌山橋本線に入り、さらに約500m先の町立三谷こども園前の押ボタン信号の交差点を左折すると100mほどで丹生酒殿神社に到着します。
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