壹須何神社(南河内郡河南町) ・蘇我氏・石川氏ゆかりの式内社

壹須何神社

2018年8月訪問
壹須何神社(いちすかじんじゃ)は大阪府南河内郡河南町一須賀にある神社で、壱須何神社、一須賀神社とも表記されます(以後基本的に一須賀表記)。平安時代の書物である延喜式神名帳に記載されている式内社で河内国石川郡9座の内の一つです。

壹須何神社(南河内郡河南町)
壹須何神社(南河内郡河南町)

一須賀神社は、有名な富田林市の寺内町から東に約2km離れた河南町の高台の上にある寺内町「大ヶ塚(だいがづか)」の西端に鎮座しており、寺内町ということで周囲は独特の雰囲気のある静かな住宅地となっています。



歴史と概要

一須賀神社の創建年や由緒は不詳ですが、かつて石川にほど近いこの一帯が蘇我氏の末裔である石川朝臣の本拠地であったことから、宗祖である蘇我石川宿禰を祀るなど高い関連性があったと考えられています。蘇我氏と石川といえば、大化の改新で有名な蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の名も連想させます。

かつてこの地は河内国石川郡石川村と呼ばれており、現在でも一須賀、大ヶ塚周辺では公園などに石川の名を見ることができます。

鎮座地は河南町の一須賀、東山から太子町の葉室にかけての丘陵上にある「一須賀古墳群」の一角であることから、元は古墳の上にあったとの説もあります。また、一須賀古墳群北側の磯長谷地域には蘇我氏との関わりの深い敏達天皇用明天皇推古天皇、聖徳太子の陵墓伝承地もあることから蘇我氏とこの一帯が深く結びついていたことを窺わせます。

壹須何神社(南河内郡河南町)
東側鳥居側の由緒書きなど

現在は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主)・天照大神・天児屋根命・品陀和気命を主祭神としていますが、これらは江戸時代初期から前期にかけて祀られるようになったと考えられています。

さらに、石川村大字東山(現河南町)の菅原神社から天滿大自在天神を、大伴村大字南大伴(現富田林市)の降幡神社(降旗神社)から天之忍日命(あめのおしひのみこと)・日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)・日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)・彦波瀲武鵜鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)・神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)を合祀しています。

壹須何神社(南河内郡河南町)
由緒書きの表記は「壱須何神社」

蘇我氏系の石川氏が平安時代の初期に衰退した後、一須賀神社より2kmほど北の通法寺壷井付近を本拠とする河内源氏が栄えます。

その末裔である石川源氏はこの辺りを治めますが、治承4年(1180年)に平清盛は源義家以来の河内の石川源氏に止めを刺すべく、源大夫判官季貞(飯富季貞)、摂津判官盛澄(平盛澄)らを派遣してこの地にあったとされる石川城を攻撃します。これは石川城合戦とも呼ばれ、河内石川源氏棟梁の源義基の長男義兼(石川義兼)は河内石川源氏の棟梁として、叔父の紺戸義広や二条義資らを率いて決死の防戦に努め、平家方に対し善戦しますがやがて力尽きて落城。

義兼は自刃しようとしますが生け捕られ、しばらく捕虜としての生活を余儀なくされます。やがて、木曾義仲の入洛と平家の都落ちという混乱が生じる間に義兼は脱出に成功。河内に戻り石川源氏を再集結し源頼朝の傘下に入ると、河内源氏後裔の頼朝から「河内随一の源氏」と評されました。なお、石川城の場所は壺井・通法寺周辺と当社近辺との説があるそうです。

南北朝時代になると楠木正成は当地を南朝方の城塞とし、当社も再三にわたり兵火を受けました。天正17年(1589年)になると、豊臣秀吉は石川郡代官伊藤加賀守秀盛を通して祈祷と境内免許の証を下しましたが、その際に奉納された湯釜が残っており、現在も社宝とされています。

明治5年(1872年)に村社に列格し、明治40年(1907年)、前述のように石川村大字東山の村社・菅原神社、大伴村大字南大伴の村社・降幡神社を合祀しました。

大阪府神社庁のホームページによると、神職不在神社のため、富田林市にある春日神社が管理しているようです。

また、同じ河南町内の式内社としては神山に鴨習太神社があります。

境内

一須賀神社の約800m西には石川、約300m東には石川の支流である梅川という2本の川に挟まれ、尚且つ小高い丘となっている鎮座地周辺は天然の要害といえます。この高台は室町時代後期には「大ヶ塚」と呼ばれるようになったそうです。

壹須何神社(南河内郡河南町)
南側からの参道と鳥居

そんな大ヶ塚の西の端に一須賀神社は鎮座しており、樹木で見えないものの、西側から見ると崖の上に建っているイメージです。

壹須何神社(南河内郡河南町)
社号標

南側から参道に入りると、正面に石造りの鳥居、灯篭、そして鳥居の右手に社号標が見えます。社名標の手前にあるのは近所にあるアスカカンパニーさんより奉納された「ソーラーサイン灯」。

壹須何神社(南河内郡河南町)
南から見た境内

当社の本殿、拝殿、参道、鳥居はほぼ南向きで一直線に並んでいるので、南北に100mほどの細長い社域となっています。

壹須何神社(南河内郡河南町)
境内から見た北側鳥居と手水鉢など

境内をまっすぐ北へ進むと、拝殿の右手に大きな石の鳥居があることに気づきます。こちらの方が鳥居も大きく、手水鉢や由緒書きもあります。

壹須何神社(南河内郡河南町)
道路から見た北側鳥居

実は、大ヶ塚寺内町の外から当社を訪ねる場合は神社北側の坂を上って来る方が迷いにくいです。

壹須何神社(南河内郡河南町)
手水鉢

北側鳥居のすぐ側、由緒書きの向かいに手水鉢があります。

壹須何神社(南河内郡河南町)
歴史のありそうな手水鉢

手水鉢は独特の形をしています。

壹須何神社(南河内郡河南町)
拝殿

拝殿の前には趣のある狛犬が並んでいます。

「河内名所図会」には、「一須賀神社は一須賀村にあり 延喜式内今天神と称す 当村大ヶ塚村の産土神也」とあり、江戸時代には「天神」と呼ばれていたようです。また、「宮寺に十一面観音を安置す」ともありますが、宮寺とは東に100mほどの距離にある慶弘寺のようです。

壹須何神社(南河内郡河南町)
平成30年(2018年)戌年の絵馬

拝殿にはすぐ近くにある大阪芸術大学の学生さんによるものと思われる可愛らしい開運招福の絵馬が。

壹須何神社(南河内郡河南町)
拝殿隣の社殿

拝殿右手には、独立した社殿があり注連縄の上には戎(えびす)神のような面がつけられていました。

壹須何神社(南河内郡河南町)
本殿への門

また、拝殿と右手の社殿の間からは春日造り桧皮葺きの本殿を垣間見ることもできます。

壹須何神社(南河内郡河南町)
記念碑と遙拝所

境内には様々な祠や石碑、燈篭などがあります。

拝殿に近い東側には大正4年と彫られた本殿拝殿造営の記念碑があり、その右側に、方角的には皇居を向いていると思われる遙拝所があります。

壹須何神社(南河内郡河南町)
石川氏顕彰碑

その右手(南)には貴族院議員で子爵の石川成秀による石川氏(河内石川源氏)発祥の地であることを記したと思われる顕彰碑があります。

壹須何神社(南河内郡河南町)
不動尊

さらに南側にはコンクリート製の不動尊の祠が。ちなみに、当社から300mほど西の山城地区の田んぼの中には「蛙田不動尊(かりたふどうそん)」が祀られています。

壹須何神社(南河内郡河南町)
お札お守り返納所

境内西側の拝殿寄りには「お札お守り返納所」と書かれた木製の祠がありますが、これは富田林市にある大伴黒主神社が移転する際、一時仮社として御魂を迎えた時のもののようです。

壹須何神社(南河内郡河南町)
石灯篭

さらに南には奉納された石灯篭が並んでいます。

壹須何神社(南河内郡河南町)
龍神を祀るとされる石柱

また、石灯篭の間には注連縄のつけられた石柱がありますが、これは龍神を祀っているそうです。

祭礼

例大祭は10月の第3土曜日(元17日?)で、その前後の金曜日夜から日曜日にかけて、河南町の一須賀、山城、大ヶ塚、東山、富田林市の南大伴、北大伴各地区からだんじりが出る秋祭りです。

また、当社のすぐ南にあり、大ヶ塚寺内町の中心となった顕證寺(顕証寺)周辺では9月の第一土曜、日曜日に「八朔市」が開催され毎年多くの出店が並びます。

アクセス

一須賀神社へは近鉄長野線「富田林」駅から金剛バスの石川線に乗車し「大ヶ塚」バス停で下車し、「大ヶ塚」交差点へ向かい、左斜め前方への坂を上ると後は道なりです(バス停から約350m)。または「一須賀」バス停で降り南へ約80m行くと左斜め前方への上り坂があるので、その坂を上った右手に一須賀神社があります(バス停から約250m)。

壹須何神社(南河内郡河南町)
府道27号からの上り坂の右側に一須賀神社

車で富田林方面から行く場合は、金剛大橋を渡りすぐ左折し府道33号を道なりにスーパー万代前を通過し、「大ヶ塚」交差点を左折。約500m進みJAと石川交番の次の信号を右折し、坂を上った右側に神社があります。
太子町方面からは府道27号と32号の交わる「太子町南」交差点から27号を通り約1km南下(大阪芸術大学前を通過)すると、信号機のある交差点に左斜め前方への上り坂があります。その坂を上った右手が神社です。

ただし、大ヶ塚寺内町内は狭い道も多く、専用駐車場は見当たらなかったので(駐車スペースが開放されている場合もあるそうです)、府道27号沿いの石川交番からは約150m南、「大ヶ塚」交差点からは約250m北にある石川公園の駐車場を利用し、公園内の遊歩道を上って参拝するのが良いかもしれません。

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コメント

  1. ご担当者様

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