利雁神社
2019年5月訪問
利雁神社(とかりじんじゃ・とがりじんじゃ)は、大阪府羽曳野市尺度にある神社です。集落と丘陵地の境界付近に鎮座する小さな神社ですが、平安時代の「延喜式神名帳」という書物に河内国古市郡2座のうちの一つとして名前が記載された由緒ある式内社でもあります。利雁神社(羽曳野市) |
鳥居も社殿もそれほど古さを感じさせない利雁神社ですが、1.5kmほど南の富田林市宮町に鎮座する式内社、美具久留御魂神社の摂社にも同名の神社があります。
歴史と概要
利雁神社の正確な創建年は不祥ですが、延喜式神名帳では小社に列しています。「とかり」は歴史ある名で、利雁(利鴈との表記も)の他、戸刈などの表記もあります。元々当社は、村の西側を南北に連なる丘陵地(羽曳野丘陵)にある利雁山(戸刈山)に鎮座し、「王の宮」とも呼ばれていたようです。日本書紀の推古天皇15年(607年)条には河内に戸刈池を掘削し、屯倉(みやけ)を設置したことが書かれていることから、この周辺には古くから人々が暮らしていたことがわかります。
突き当りが利雁神社 |
天正年間(16世紀後期)に河内国で起こった兵乱により社殿を失い、慶長17年(1612年)に遷座したとされます。明治5年(1872年)旧社格で村社に列格しましたが、明治40年(1907年)10月12日、当時の南河内郡喜志村字宮(現在の富田林市宮町)にある美具久留御魂神社に合祀されました。
美具久留御魂神社境内社の利雁神社 |
その後(恐らく第二次大戦後)、美具久留御魂神社の摂社はそのまま残し、尺度にある西方寺西側の現社地に利雁神社が再建されたようです。その正確な時期は不明ですが、昭和40年代前半の地図には鳥居のマークが確認できます。
利雁神社の主祭神は、当然ながら美具久留御魂神社の摂社と同じ保食神・八幡大神(品陀別命)・天児屋根命を祀っているようですが、「饒速日命裔依羅氏祖神也」つまり、依羅連(よさみのむらじ)の祖先神である饒速日命(物部氏の氏祖としても有名)を祀っていたとの資料もあるようです。
大阪府全志などによると、古来この辺りは古市郡尺度(さかど)郷の内の坂田(阪田)と呼ばれていましたが、元和元年(1615年)に東坂田、西坂田、新家の三村に分かれました。
明治のはじめまで利雁神社周辺は河内国古市郡西阪田村と呼ばれていましたが、明治13年(1880年)に西阪田村は枝郷である新家村(南の喜志村新家に対し北新家とも)と合併して尺度(しゃくど)村となりました。明治22年(1889年)の町村制の施行により尺度村は蔵之内村、西浦村、東阪田村、広瀬村と合併し、改めて誕生した西浦村の大字となりました。明治29年(1896年)に所属郡が南河内郡に変更。当時の利雁神社鎮座地は南河内郡西浦村大字尺度字尺度となっています。西浦村は昭和31年(1956年)に古市町、高鷲町、埴生村、駒ヶ谷村、丹比村と合併して南大阪町が発足。翌年、南河内郡南大阪町が市制施行、即日改称して羽曳野市が誕生しました。
「尺度(しゃくど)」という地名はかつて「尺度(さかど)」と呼んでいたようです。平安時代の和名類聚抄などに河内国古市郡尺度(さかど)郷(尺度荘)が見られますが、これはもともと「坂門(さかど)」だったようで、江戸時代の山陵志に見られるように埴生坂門、つまり埴生坂の入口の門という意味合いがあったようです。埴生山(羽曳野丘陵)東側の平地は「坂門原」と呼ばれ、西浦の河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)、すなわち清寧天皇陵の他、東阪田の「さかとがはらこども園」や坂門ヶ原墓地にその名を残しています。
ちなみに、埴生坂は現在の羽曳野市野々上、はびきの付近と考えられており、付近には埴生野神社があります。また、神社の少し北側を東西に走る南阪奈道路の側道(府道32号美原太子線)の広田池に架かる橋の名称は「尺度利雁橋(しゃくどとがりばし)」になっている他、北隣の蔵之内との境付近に前出の戸刈池があります。
祭礼
利雁神社の氏子地区である羽曳野市尺度地区でも毎年10月第3土曜、日曜日に秋の地車(だんじり)祭が執り行われますが、尺度(旧古市郡西阪田村)の氏神であった利雁神社が旧石川郡喜志村の美具久留御魂神社に合祀された結果、(復社しているものの)現在でも羽曳野市尺度の地車(だんじり)は富田林市宮町の美具久留御魂神社にも市境を越えて宮入しています。
境内
国道170号(外環状線)から尺度の集落に入り、木々の生い茂る西の丘の方を目指します。森の中に佇む神社 |
集落の北西端辺りから、西の丘に向かって緩やかに上る真っ直ぐな道があり、その突き当りに利雁神社が鎮座しています。なお、鳥居手前の南側にあるのが利雁山西方寺です。
境内から東の集落を望む |
石の鳥居は比較的新しく、平成5年(1993年)3月に建立されてものです。
手水舎 |
鳥居をくぐると左右に狛犬があり、右手には手水舎があります。
石灯籠は江戸時代のもの |
古い石灯籠の奥には神様を祀るお社、そしてその左には百度石もあります。
神様を祀るお社 |
竹林の斜面の一部をならして整備された境内に建つ社殿の中は、確かに三柱が祀られているようでした。
当地には特に説明板などはなく、不明なことも多い利雁神社ですが、小さいながらも集落の人々が良く手入れをされているように感じました。
利雁神社周辺を見ると、1kmほど北に蔵之内日吉神社、1.6kmほど北に西浦日吉神社、1kmほど北東に鹽竈神社・正神神社、1.5kmほど南に式内社美具久留御魂神社がある他、900mほど東に庭鳥塚古墳があります。
アクセス
近鉄長野線「喜志」駅西口から国道170号(外環状線)に出て右折し北へ約900m。「尺度」交差点を左折して西に約350m進み、突き当りを右折します。後は30m少々進んで左折すると正面に利雁神社の鳥居が見えます。尺度地区 |
「尺度」交差点から丸十人形工房さんの辺りまではともかく、そこから先はかなり道が狭いところが多いので徒歩が無難です。鳥居の手前に少し駐車できそうなスペースもあるものの、車での参拝はお勧めできません。道の駅「しらとりの郷・羽曳野」から南阪奈道路の側道を東に約1km進んで右(南)に曲がると尺度集落の北側から神社に近づけます。
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