庭鳥塚古墳(羽曳野市) ・三角縁神獣鏡が出土した珍しい前方後方墳

庭鳥塚古墳

2021年2月訪問
庭鳥塚古墳(にわとりづかこふん)は大阪府羽曳野市東阪田にある古墳です。羽曳野市南部の富田林市との境界近くに位置する庭鳥塚古墳は、国道や住宅地に隣接していながら平成になるまで発見されませんでした。それゆえに盗掘を免れたと思われる当古墳からは三角縁神獣鏡など様々な遺物が出土しています。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
庭鳥塚古墳(羽曳野市)

庭鳥塚古墳は、ユネスコの世界文化遺産に登録されたことでも知られる羽曳野市から藤井寺市にかけて広がる古市古墳群には属していないものの、大阪府指定史跡に指定されています。


歴史と概要

現地の説明板などによると、庭鳥塚古墳は大阪府下では珍しい前方後方墳で前方部を北側に向けています。二段築成の墳丘は長さ約60mで墳丘表面には葺石が葺かれ、円筒埴輪が立て並べられていたと考えられています。古墳の築造時期は4世紀中葉から後半の古墳時代前期とみられています。

蔵塚古墳の所在地は、南河内を南から北に流れる石川左岸(西岸)の標高40mの中位段丘上で、石川からの距離は約800mとなっています。現在は古墳の西面に接するように国道170号(旧道)が南北に走り、その西側に近鉄長野線と国道170号(外環状線)が並走する形となっていて、300m少々北には南阪奈道路が東西に通っています。また、古墳の100mほど東には歴史ある東高野街道も存在しています。


平成22年(2010年)の羽曳野市教育委員会による「庭烏塚古墳発掘調査報告書」によると、庭鳥塚古墳が確認されたのは平成17年(2005年)6月に羽曳野市東阪田北部の住宅地での整地工事中のことでした(昭和47年(1972年)に調査され、東西17m、南北22mの方墳と報告されていたとも)。ここは旧石器時代から中世までの遺構が認められる東阪田遺跡の一画ですが、現在は住宅地もあります。ここで駐車場拡幅を目的とした整地作業によって削られた高さ約3mの法面に粘土槨(木棺を粘土で覆って埋め戻した埋葬施設)の断面が確認されたことから、直ちに羽曳野市教育委員会によって緊急の調査が実施され、墳丘規模を確認するための測量調査と発掘調査が行なわれました。

庭鳥塚古墳の発掘調査は平成17年度から4年間にわたって行われ、出土遺物整理も平成18年から4年間に渡り行われたそうです。粘土榔内の調査ではおびただしい遺物が出土し、棺内からは三角縁神獣鏡が発見されました。これらの調査成果は報道され、地元向け現地説明会や一般現地説明会を催したところ全国から1700名に及ぶ参加者がありました。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
説明板

庭鳥塚古墳の発掘では粘土槨に組み合わせ式の箱形木棺(コウヤマキ製)の一部が検出されましたが、これを復元すると長さ2.7m以上、幅0.7m、高さ0.4m以上の規模であったと推測されます。

副葬品には三角縁神獣鏡が出土しましたが、この三角縁神獣鏡は西暦の250年前後に中国大陸で製造されたものとみられ、庭鳥塚古墳が築造されたとされる4世紀中葉とは100年ほどの差があります。木棺内からは三角縁神獣鏡以外に、翡翠製の勾玉、鉄刀、鉄剣が法顕された他、棺外の粘土槨中から筒形銅器、鉄剣、鉄刀、鉄槍、鉄鏃、銅鏃、鉄製籠手、鉄斧、鉄鎌、鋸といった副葬品が確認されています。また、墳丘外表面からは円筒埴輪の他、土師器の直口壺の破片が出土しています。

このように、庭鳥塚古墳には三角縁神獣鏡大量をはじめ、武器や武具、筒形銅器が納められていたことから被葬者はヤマト政権とかかわりを持ち、朝鮮半島などから最新の情報を得ることができた武人の可能性が指摘されています。また、篭手や鋸など出土例が極めて少ない品々があったことも庭鳥塚古墳の特徴とされています。

庭鳥塚古墳が築かれた後、程なくして少し北の古市では応神天皇陵をはじめとした巨大前方後円墳を含む古市古墳群の造営が開始されることになります。


当該地は東阪田の「庭鳥塚」という小字が残る場所であったことから庭鳥塚古墳と命名されました。近い所では当古墳から2kmほど東の同じ羽曳野市内で南阪奈道路建設の際に発見された蔵塚古墳も同様に小字名から名付けられましたが、地名の「塚」が忘れ去られた古墳の存在を伝えていた事例といえるのかもしれません(庭鳥塚は後世に築かれた石塚から付けられたとの説も)。なお、東阪田地区内では坂門ケ原保育園付近で巫女を表した人物埴輪が出土していることから、周辺に古墳時代後期の古墳が存在する可能性が指摘されています。

庭鳥塚古墳周辺の前期古墳としては、石川の対岸(東)の壺井・通法寺地域に北から壺井丸山古墳、壺井御旅山古墳、通法寺裏山古墳、九流谷古墳の存在が知られている他、南河内の前方後方墳としては前出の九流谷古墳、板持3号墳、平1号墳があります。また、周辺で三角縁神獣鏡が出土した古墳としては富田林市南旭ケ丘町にあった真名井古墳が挙げられます


古墳の現状

庭鳥塚古墳の周囲を見ると、北東側が低くなっているので当古墳が段丘の縁に造られたことがわかります。現在は古墳の北、東、南側がほぼ住宅地で、西側に国道170号(旧道)が南北に走っています。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
南東より

現在、庭鳥塚古墳の様子を最も確認しやすいのが南東側からかと思われます。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
南東から見た後方部

上段の駐車場の奥は柵が設けられていますが、東寄りに羽曳野市が設置した説明板があります。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
南から見た後方部

この南側の高まりが前方後方墳の後方部で、その南面が駐車場拡張の際に掘削された部分のようです。墳丘の西側と東側が急峻な角度となっています。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
西から見た後方部

西側に回ると墳丘を横から見ることも出来ます。

後方部の墳頂平坦面の北西部には拳大から人頭大の川原石が積み上げられた遺構が確認されました。川原石の聞には弥生式土器や弥生時代の石槍などの石器、中世の遺物、18世紀に生産された陶磁器片などが混入していましたが、近代以降の遺物の混入は認められなかったそうです。これらの状況から、古墳築造の後に本来庭鳥塚古墳の墳丘に使用された茸石を転用した石材で宗教的な施設(石塚)などが築かれていたものの、近代に入り忘れ去られた可能性があるようです。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
西側からみた墳丘

古墳の南西側には国道170号(旧道)と住宅地を結ぶ坂道があります。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
南西から見た前方部など

なお、この辺りの国道170号(旧道)は南の高台と北の低地を結ぶ長い直線の坂道となっており、ちょうど庭鳥塚古墳の西側付近が切通しのようになっています。庭鳥塚古墳の前方部の北西角は墳丘の一部が損失していること測量図から判明していますが、これは国道170号(旧道)建設に伴う工事で失われたようです。


庭鳥塚古墳周辺を見ると、1.5kmほど北に春日山田皇女陵、さらにその北側の安閑天皇陵といった古墳がある他、約600m南東に広瀬八幡宮、約900m西に利雁神社、約700m北西に鹽竈神社・正神神社、約1.3km北に高屋神社、約1.8km南西に美具久留御魂神社といった神社があります(東阪田の郡天神社についてはこちら)。また、安閑天皇陵から南にかけてはかつて河内国の中心的役割を果たしていた高屋城がありました。


アクセス

最寄駅は近鉄長野線「喜志」駅となります。「喜志」駅東口から200mほど東の国道170号(旧道)に出て「喜志南」交差点から左(北)に約1.2km進み(「喜志」交差点からは約1km)、右手の細い坂道(下の写真)を上ると左側に庭鳥塚古墳があります。

庭鳥塚古墳(羽曳野市)
国道170号(旧道)南から

南阪奈道路高架下の国道170号(旧道)「新町南」交差点からは南に約350m進んで左手の細い上り坂を上った左側です(「広瀬」交差点の南東)。

庭鳥塚古墳に見学者用駐車場はありません。


Niwatorizuka Mounded Tomb(Habikino City,Osaka Prefecture)


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