丹下日吉神社・白龍大神
2019年10月訪問
丹下日吉神社・白龍大神(たんげひよしじんじゃ・はくりゅうおおかみ)は大阪府羽曳野市恵我之荘にある神社です。現在は近鉄南大阪線や府道12号堺大和高田線(ヤマタカ線)に挟まれた住宅地の中にひっそりと鎮座しています。丹下日吉神社・白龍大神(羽曳野市) |
鎮座地の現在の地名は駅名にもなっている「恵我之荘」(駅名は「恵我ノ荘」表記)ですが、かつて丹下村と呼ばれた村の鎮守であったと思われる神社です。
歴史と概要
丹下日吉神社・白龍大神には由緒書きや説明板も見当たらず、正確な創建年は不明です。現在の鎮座地の住所は羽曳野市恵我之荘ですが、明治時代までは河内国丹南郡丹下村だったため、当記事では羽曳野市に今も数社(丹下、野、西浦、蔵之内)ある日吉神社と区別するため「丹下日吉神社」としています。ちなみに、旧丹下村から2kmほど南南西には旧丹上村がありました(現堺市美原区丹上。菅原神社があります)。御祭神については、日吉神社であることから大山咋大神で、白龍大神が合祀されています。丹下村の日吉神社については、大正時代に刊行された「大阪府全誌」に当時の高鷲村大字丹下字西口にあったことが記され、明治時代の地図にも今とほぼ同じ場所に鳥居のマークがあることから丹下村の氏神だったのかもしれません。
鎮座地は旧丹下村集落の西端に当たる場所で、一津屋、西野々、東大塚などへ続く道沿いだったと思われます。
明治時代の末に野々上の八幡神社や埴生野の埴生神社(現埴生野神社)と共に1kmほど南東の式内社である大津神社に合祀され、今も大津神社の配祀神として大山咋命が祀られています。旧社地に復社した時期は不明ですが、現在建っている丹下日吉神社・白龍大神のお社などは、境内にある賽銭箱の記載などから平成に入り建てられたものと思われます。
こちらの白龍大神について詳細は不明ですが、白龍大神は家を護る神ともされ各地で祀られているので、当白龍大神もかつて丹下村の何処かに祀られていたものかもしれません。
「恵我之荘」という地名については、当社の400mほど西にある西川八幡神社の記事を参照してください。
●西川八幡神社(羽曳野市) ・歴史ある「恵我之荘」に祀られた八幡神
境内
近鉄「恵我之荘」駅から北西に300mほど歩くと、静かな住宅地の中に木々に囲まれた一角が現れます。東側の鳥居 |
境内は東西10m少々で、社地の東側は約8m、西側は約6mとなっており、社殿や鳥居は東を向いています。
「日吉神社・白龍大神」の額 |
東側の参道入口にある木の鳥居には「日吉神社・白龍大神」の額が掲げられています。
境内の様子 |
境内には、大津神社に合祀される前の旧日吉神社にあったものかは不明ですが、いくつかの大きな石や石造物の一部などがあります。
参道の燈籠や狛犬 |
鳥居をくぐると、参道の両側に石燈籠と狛犬が1対ずつ配置されているのがわかります。
手水鉢 |
参道の右側、石燈籠と狛犬の間に手水鉢があります。
参道奥の社殿と賽銭箱 |
舗装された参道の奥には社殿があります。手前にある金属製の賽銭箱には「日吉神社 白龍大神 平成七年十二月吉日建之」と記されています。
本殿 |
木製のお社には「祭神 大山咋大神 合祀社 白龍大神」と書かれた札があります。
近くの大きな神社に合祀され、現在も正式には復社していないようですが、今も静かに旧丹下村の人々を見守っているような神社でした。
アクセス
近鉄南大阪線「恵我ノ荘」駅北口(パティスリーバロンさんの反対側、藤井寺・古市方面行き側)から線路沿いに河内松原・阿部野橋方面(北西)へ100mほど進み(交番前を通過)、右に曲がります。約160m進むと丹下公民館前の交差点があるので左折。30mほど進むと左手に丹下日吉神社・白龍大神が見えてきます。
神社の西側 |
「恵我ノ荘」駅北口へわかりやすいのは、府道12号堺大和高田線(ヤマタカ線)「恵我之荘」交差点から南へ約400m。大阪府道31号堺羽曳野線「野」交差点からは北に約1.5kmです。当社周辺は古くからの集落の名残で細い道やカーブも多いので注意が必要です。車の場合は駅周辺のコインパーキングを利用するのが良いと思われます。
なお、駅周辺には前述の西川八幡神社や河内大塚山古墳がある他、約600m北東には一津屋の厳嶋神社があります。
コメント
コメントを投稿