深居神社
2020年7月訪問
深居神社(ふかいじんじゃ)は大阪府松原市小川にある神社です。現在は大和川の南、グラウンドの隣にある小さな神社という印象ですが、かつては大和川の北側にまで及ぶ広範囲の土地の総産土神だったという歴史を持つ神社でもあります。
深居神社(松原市) |
鎮座地は4つの高速道路をつなぐ松原ジャンクションのすぐそばにあり、中央環状などの交通量の多い道路も近くを走っていますが、神社周辺は静かな環境となっています。
歴史と概要
境内に掲げられた由緒記などによると、深居神社は奈良時代の養老元年(717年)の創建と伝えられ、御祭神は第15代応神天皇である品陀別命(ほんだわけのみこと)が祀られています。通常は立入禁止となっている本殿の周辺は、古墳の墳丘を思わせるマウンドとなっているようで、昭和10年(1935年)には境内からも2つの須恵器が見つかっていることから、深居神社は古墳時代にこの小川に地に影響力を持った有力者の古墳上(跡)に建てられたとも考えられています。なお、900mほど南に鎮座する一津屋の厳嶋神社も古墳の上に建てられた神社とされています。
深居神社があるのはかつての河内国丹北郡小川村で、鎮座地はその集落の北西に位置しています。小川村は明治22年(1889年)に丹北郡大堀村、別所村、一津屋村、若林村と合併して恵我村となり、明治29年(1896年)には所属郡が中河内郡に変更。当時の深居神社の住所は中河内郡恵我村大字小川字馬場脇となっています。昭和30年(1955年)になると恵我村は松原町、天美町、布忍村、三宅村と合併して松原市が発足しますが、昭和39年(1964年)にかつての若林の村域の内、大和川右岸の北若林地区が八尾市に編入(現八尾市若林町)され現在に至ります。
現在は小川地区の産土神として祀られている深居神社ですが、かつては小川だけでなく、川邊(現大阪市平野区長吉川辺)、若林(現松原市若林)、大堀(現松原市大堀)、津堂(現藤井寺市津堂)まで含めた広範な地域の総産土神でした。しかし、元弘から建武にかけて(1331年~1335年頃)の兵乱により深居神社は衰微し、各村に分祀されたようで、それ以降は小川村一村の産土神となりました。深居神社より分祀された川邊村の川辺八幡神社、若林村の若林神社、大堀村の大堀八幡神社、津堂村の津堂八幡神社の御祭神も同じ品陀別命が祀られています(川辺八幡神社は石清水八幡宮、津堂八幡神社は誉田八幡宮の分霊を勧請したとする説も)。
深居神社の御由緒と河内国古市街道の看板 |
拝殿の奥にある本殿は一間社流造りで、屋根は杮葺(こけらぶき)となっています。杮葺とは、厚さ2~3mmの薄い木の板を用いて施工する工法で、板葺(いたぶき)の代名詞となっており、杮は「こけらおとし」の語源とも。ちなみに「杮(こけら)」と「柿(かき)」別の字です。由緒書きによると「本殿の海老虹梁(えびこうりょう)は湾曲が少なく、昇高欄(登り高欄)の曲線も古式で、相対的に抑制のきいた彩色のない上品な意匠」だそうです。
本殿の天井梁裏には万治3年(1660年)の「大工松村長右衛門正次と土屋長九郎」と記された棟札があった他、拝殿には寛政4年(1792年)の棟札や寛政5年(1793年)の絵馬もあるなど、深居神社には江戸時代に建てられた歴史ある建物や奉納された文化財が数多く残されていることがわかります。
深居神社は、明治の末に他の神社に合祀されることなく今に至るようです。
現在の深居神社は神職不在神社で、大阪市平野区長吉長原にある志紀長吉神社の兼務社として管理されています。
小川村の深居神社
松原市のホームページなどによると、この小川の地に古代から中世を通じて恵我地方一帯の総産土神である深居神社が鎮座した理由として、同地が狭山池を源流とする東除川の水上として重要視されていたことと関係しているそうです。社名の「深居」の「居」は、もともと「井」よりの転化であり、村の「小川」も含め、農耕に欠かせない井戸や水の神として崇められたからだといわれています。
一津屋橋から見た小川の戸関 |
小川の南の東除川に架かる一津屋橋のすぐ上流には「小川の戸関」とよぶ堰が設けられ、ここで東除川の水量が調節されて東の三ツ池に貯えられたそうです。この水は小川をはじめ、下流の若林や大堀の水田に水を供給しました。
北側から見た三ツ池 |
三ツ池の周辺、特に小川1丁目や4、5丁目の辺りは古墳時代から中世にかけての集落跡が見つかっており、小川遺跡と呼ばれています。地図を見ると、今でも小川周辺は1町(約109m)四方の正方形で区切られた古代の土地割である条里制の跡を窺い知ることができ、小川2丁目の古池、西池、東池の総称である三ツ池が条里制の農地3区画に相当する溜池とわかります。なお、同じ松原市内では田坐神社周辺でも条里制遺構を見ることができます。
祭礼
毎年10月に秋祭りがあり、地元で古くから伝わる小川太鼓が奉納されるようです。平成11年(1999年)に地車(だんじり)小屋が焼け、地車も焼失しましたが、翌年に新調されたようで、現在は秋祭りで町内を練り歩くそうです。この地車には、国の伝統工芸士に認定され地元松原で欄間づくりなどを営む高橋聖峰さんと孔明さん親子(河内國彫物師)による地車彫刻が見られます。
境内
深居神社は、旧小川村集落北西の田畑の中に鎮座していましたが、現在では東隣の屋後池は埋め立てられグラウンドになり、200mほど北西には近畿自動車道、西名阪自動車道、阪和自動車道、阪神高速14号松原線を接続する松原ジャンクションがあります。
松原ジャンクションの東側は住宅より工場が多いようですが、西名阪自動車道南側の深居神社周辺は静かな環境です。神社は南向きで、東側に大きなグラウンドを備えた公園と小川集会所があります。境内は南北に細長く、東西が最大約20m、南北が本殿裏の森も含めて90mほどとなっています。
鳥居と社号標(右奥に歯神さん) |
入口は南側の古市街道に面しており、石造りの鳥居の手前には社号標や由緒記、古市街道の看板などがあります。
北に延びる参道 |
参道はほぼ一直線で、鳥居をくぐると左手にベンチ、右手に遊具などがあります。
鳥居の跡? |
鳥居から25mほど進むと参道の左右に石の円柱が一本ずつ建っています。
多数の漢字が彫られた柱 |
これは注連柱のようですが、上に行くほどやや内側に傾斜していることや上部が欠けているように見えることから、元は鳥居だったのかもしれません。なお、この円柱にはびっしりと漢文?が刻まれています。
百度石 |
なお、円柱の手前左側に百度石があります。
拝殿前の様子 |
さらに参道を進むと木々が増え、拝殿などが見えて来ます。
手水舎 |
拝殿手前には狛犬、石燈篭が一対ずつあり、その更に手前の左側に手水舎があります。
手水鉢 |
手水鉢は風情のある感じでしたが、この時は柄杓などがありませんでした。
拝殿 |
改めて燈篭、狛犬、拝殿と向き合うと質素ながら歴史を感じさせる佇まいでした。
八幡宮?の額 |
拝殿には木の額が掲げられており、一文字目は薄っすらと「八」と見えるようなので「八幡宮」と書かれた額かもしれません。
拝殿から見た幣殿と本殿 |
拝殿は割拝殿となっているものの先には進めず、ここで参拝することになります。拝所からは奥の本殿の他に、向かって右側に稲荷社?が見えます。
拝殿内の絵馬など |
なお、拝殿の中には前述の江戸時代の奉納絵馬をはじめ、多くの絵馬などが掲げられています。
拝殿と奥の本殿 |
拝殿奥の本殿周辺はフェンスが張られ立入禁止になっていますが、様子を窺うことは出来ます。
稲荷社 |
本殿向かって右手にあるのはやはり稲荷社のようです。
歯神さん |
境内東側の公園内に注連縄の張られた自然石の立石があり、「歯神さん」として祀られています。また、歯神さんの前には中世の一石五輪塔が2基置かれています。
アクセス
松原ジャンクションの東側、府道2号大阪中央環状線の南行き車線を南下し、西名阪自動車をくぐり、電柱の上に小さな「小川←」の標識のある二つ目の脇道を左に入ります(一つ目は西名阪の側道)。そこから道なりに約200m南東に進むと左手に深居神社があります。神社周辺は道路なども少し広くなっていますが参拝者用の駐車場は無いようです。
神社南東より(手前がバスの転回場) |
公共交通機関では、松原市の市内公共施設循環バスぐるりん号の「西・東ルート」で「深居神社前」バス停下車すぐです。
駅から徒歩の場合は、大阪メトロ谷町線「長原」駅、「八尾南」駅、近鉄南大阪線「恵我ノ荘」駅いずれからも2km前後の行程です。
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