丹比神社(堺市美原区) ・反正天皇ゆかりの式内社

丹比神社

2017年7月訪問
丹比神社(たんぴじんじゃ)は堺市美原区多治井にある神社です。かつてこの辺りは河内国丹比郡(たじひのこおり)と呼ばれ、当社は延喜式神名帳に河内国丹比郡11座の内の一つ(小社)として記されたいわゆる式内社です。

なお、「たじひ」は丹比、多治井、多治、多治比、多遅比等と書くこともあり、読みも「たじい」、「たじ」、「たんぴ」など様々です。また、大阪府神社庁のホームページによると「若宮」という通称があるようです。

丹比神社(堺市美原区)
一の鳥居と真っ直ぐ伸びる参道

丹比神社周辺は阪和自動車道や国道309号といった現在の主要道路の他、歴史ある中高野街道がすぐ近くを通る交通の要衝ですが、当社は田園と住宅地に囲まれた静かな環境の中に鎮座しています。




歴史と概要


主祭神は火明命(ほあかりのみこと)と瑞歯別命(みずはわけのみこと)で、合祀により大山祇命、伊邪那岐命、伊邪那美命、凡河内倭女姫命、菅原道真公も祀られています。

丹比神社の由緒によると、当社に祀られた火明命は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御子で、丹治比氏の祖神とされています(古事記、日本書紀の一部では火明命は瓊瓊杵尊の兄とも)。

瑞歯別命とは第18代反正天皇(はんぜいてんのう)のことで、明治時代に当社に合祀された同じく丹比郡の式内社である櫟本神社(いちいもとじんじゃ)の御祭神です。

丹比神社(堺市美原区)
二の鳥居と新しい石灯籠等

丹比神社の正確な創建年は不明ですが、多遅比瑞歯別(たじひみずはわけ)とも呼ばれる反正天皇に与えられた名代(なしろ。ヤマト王権に一定の役割をもって奉仕することを義務づけられた大王直属の集団。御名代とも)も多遅比部(丹比部)と呼ばれていますので、名代である丹比部を統括した丹比連の祖神を祀ったのが当社の創建とされています。

また、当社から西北西に400m少々離れた場所にある黒姫山古墳も丹比氏との関連があると考えられている他、約650m東南東には丹比氏の氏寺であったとされる丹比廃寺跡があります。

しかし、現在の祭神は創建時の丹比連の時と同じでは無く、後の天武朝の代にこの地に入った宣化天皇の流れをくむ丹治比真人(丹比公)の祖神も加えられたようです。

丹比神社(堺市美原区)
手水舎とその奥の縁結びのクスノキ

反正天皇の都は当社からほど近い丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや、大阪府松原市上田七丁目の柴籬神社が伝承地)とされます。平安時代の貞観元年(859年)正月27日には正五位下に叙され、同年7月14日には奉幣使が遣わされたと記録されていますが、南北朝から戦国期の騒乱を経て衰微していったようです。

丹比神社(堺市美原区)
御神木の手前にある灯篭

明治5年(1872年)に村社に列し、明治40年(1907年)には近隣の神社のうち、真福寺の村社櫟本神社(式内社)、丹上の菅原神社、小平尾の清水神社(以上現在の堺市美原区)、野の日吉神社、河原城の菅原神社(以上現在の羽曳野市)を合祀しました。現在、櫟本神社は当社の境内摂社となっています(丹比村のうち、樫山の氏神はこちらに合祀されず、現在も八王神神社が竹内街道沿いにあります)。

境内

現在の丹比神社の正面入口にある鳥居は二の鳥居で、一の鳥居は本殿から二の鳥居を経てさらに東へ300m少々のところにあります。一の鳥居と二の鳥居の間は住宅地の中を一直線に進む参道となっていてますが、ここは平成28年(2016年)に整備しなおされ、新たに献燈された石灯籠が並んでいます。

丹比神社(堺市美原区)
参道の奥の拝殿

二の鳥居をくぐりしばらく歩くと右手に手水舎があり、その先は正面に拝殿、右に社務所や駐車場、井戸などがあり、左には広場や若宮殿があります。

丹比神社(堺市美原区)
拝殿

丹比神社(堺市美原区) 縁結びの楠
北側の駐車場入口を兼ねる縁結びのクスノキ

鳥居は東にありますが、北側には駐車場の入口がありここに2本のクスノキがが寄り添い立っています。これらは上のほうで結ばれているように見える為、縁結びの木として親しまれています。

丹比神社(堺市美原区)
縁結びのクスノキの間から井戸、拝殿の方向を望む

丹比神社(堺市美原区) 反正天皇産湯の井戸
反正天皇産湯の井戸

また、駐車場の手前には反正天皇産湯の井戸と呼ばれる井戸があります。第18代反正天皇は第16代仁徳天皇の第三皇子で、多遅比瑞歯別命(たじひみずはわけのみこと・瑞歯別命とも)とも呼ばれますが、これは容姿端麗で歯並びも美しかったことからこの名がついたそうです。ちなみに多遅とはイタドリのことで、この花が瑞井という井戸の周りに咲いていたので「多遅比」という別名がついたそうです。

丹比神社(堺市美原区)
拝殿に向かって左(南)側の広場

丹比神社(堺市美原区)
本殿北側にひっそりと建つ五輪塔

駐車場奥、本殿北側には五輪塔がありますが、これは仁徳天皇が崩御されたことを悲しんだ反正天皇が建立したとされるもので、仁徳天皇陵のある西を向いています。その他の言い伝えは公式ホームページを参照して下さい。

丹比神社(堺市美原区)
二の鳥居をくぐって左側にある御神木

●丹比神社公式ホームページ → http://www.tanpijinjya.com/

なお、当社から200mほど西に下黒山の菅原神社が、1kmほど北西には広国(廣國)神社鍋宮大明神碑があります。

アクセス

公共交通機関の場合、近鉄南大阪線「河内松原」駅から近鉄バス(余部方面行き)で約15分。「下黒山」バス停下車。バス停のすぐ横の細いクランク状になった路地を入り水路を越えると右に曲がるのでそのまま道なりに歩くと二の鳥居が見えてきます。

丹比神社(堺市美原区)
丹比神社の駐車場を示す看板

車でのアクセスで分かりやすいのは、阪和自動車道高架下の府道36号「美原北小南」交差点を南に入るコースです。大阪市内、堺、泉北、富田林方面から国道309号線の「下黒山」交差点を経由した場合は「美原北小南」交差点を右折、大阪市内や北部から美原ロータリーを経由してきた場合は「美原北小南」交差点を左折します。
約450m進み(2つ目の信号を越え)西松屋の手前を左に入り、約150m先の信号の無い交差点を左折し、しばらく進むと左に神社の鳥居が見えます。鳥居手前の駐車場は神社の駐車場ではありませんので、鳥居を過ぎ突き当りを左に曲がり、2つ目の角を左折すると正面に2本の大木が見えるのでそこが駐車場入口です。

Tanpi Shrine(Mihara Ward,Sakai City,Osaka Prefecture)


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