白鳥神社
2020年5月訪問
白鳥神社(しらとりじんじゃ)は大阪府羽曳野市古市にある神社です。その社名から羽曳野市と関係の深い日本武尊(やまとたけるのみこと)に関する白鳥伝説を連想させる神社で、実際に周辺には日本武尊の御陵とされる古墳などもあります。
白鳥神社(羽曳野市) |
かつては別の場所に鎮座していたといわれる白鳥神社ですが、現在は近鉄古市駅のすぐ東側にあります。その周辺ではかつての主要街道である竹内街道や東高野街道が交わっており、古くから南河内エリアの交通の要衝であった場所に鎮座している神社といえます。
歴史と概要
白鳥神社の正確な創建年は不明ですが、白鳥神社縁起によると、河内国古市郡古市村の産土神として祀られている当社は、かつて古市村に隣接する軽墓村(現羽曳野市軽里)西方の伊岐谷(いきだに。井喜谷)にあった伊岐宮(いきのみや)が本来の宮であったようです。
伊岐宮はもともと白鳥陵古墳の頂にあったともいわれますが、南北朝時代や戦国時代の戦火により焼失したとされます。その後は軽墓村の峯ヶ塚古墳に小さな祠として再建されましたが、文禄5年(1596年)の「慶長の大地震」で倒壊し、そのまま放置されたそうです。そして江戸時代初めの寛永末期(1640年頃)に現在の地に遷座したと伝えられています。なお、江戸時代には峯ヶ塚古墳が白鳥陵とされていたこともあるようですが、現在は軽里大塚古墳(前の山古墳)が日本武尊白鳥陵に治定されています。
現地説明板には以上のように記載されていますが、資料によっては応安元年(1368年)に震災のため廟祠が倒れた、あるいは天明4年(1784年)に現在地に遷座したとするものもあり、白鳥神社の正確な歴史はわかりません。
御祭神は、江戸時代には白鳥大明神、午頭天王(ごずてんのう)、婆利妻女(はりさいにょ=牛頭天王の后とされる神)の三神が祀られていました。現在は日本武尊、素戔鳴命、稲田姫命という表記ですが基本的には同じ神様が祀られています。なお、日本武尊の伝説に因む白鳥信仰(しらとりしんこう)や大鳥信仰は日本中に広まったことから、白鳥神社(しらとりじんじゃ、しろとりじんじゃ)、あるいは大鳥神社(おおとりじんじゃ)と呼ばれる神社は各地にあります。実は大阪府下で日本武尊を主祭神とする神社は少なく、堺市鳳の大鳥大社(大鳥神社)、寝屋川市太秦の熱田神社、松原市別所の熱田神社、そしてこちらの白鳥神社くらいとも。
享和元年(1801年)の河内名所図会(かわちめいしょずえ)には「伊岐宮 誉田の南五町古市村にあり 日本武尊の霊を祀て白鳥明神と称す 古は伊岐谷にあり 後世つひに勧請す 相殿牛頭天皇 婆利賽女を併祭る 此所の生土神とす」とあります。なお、軽墓村の鎮守は字白鳥にあった天照大神社(現在の軽羽迦神社)で、こちらは天照大神などを祀っています。
御祭神・祭礼案内 |
明治時代に入ると旧社格で村社に列格し、明治41年(1908年)には同じ古市村の字古屋敷にあった式内社の高屋神社を合祀しました。高屋神社は昭和29年(1954年)に古屋敷に再建され遷座しましたが、白鳥神社では現在も高屋神社の御祭神である饒速日命と広国押武金日命(安閑天皇)を祀っています。
大阪府神社庁のホームページでは、白鳥神社は神職不在神社で他の神社が管理している旨は記載されていませんでしたが、普段は神職の方を見かけることは少ないと思われます。年中行事時などに御朱印をいただいた方もおられるようです。
交通の要衝古市
白鳥神社の鎮座する古市は古代からの交通の要衝でした。周囲には古市古墳群最大の規模を誇る応神天皇陵をはじめとした巨大古墳が多数あり、古市の中心部を日本最古の官道である竹内街道が横断しています。東には石川が流れ、西には運河ともいわれる古市大溝が造られました。さらに平安時代には京から高野山に向かう東高野街道も賑わいをもたらしたと思われます。
明治以降では、鉄道が敷かれ古市駅が出来、後に富田林方面や橿原神宮方面などへの分岐点となり、さらには国道170号も開通し現在でも多くの人が行き交う町となっています。
ちなみに、古市駅は明治31年(1898年)に河陽鉄道の終点として開業しましたが、当寺は現在地より200mほど南にありました。昭和44年(1969年)に竹内街道が横切る古市1号踏切北側、つまり現在の白鳥神社西隣りに移転しました。
歴史街道の説明板 |
江戸時代に勧請された白鳥神社のそばには、当時の主要道路だった2つの街道、すなわち南に竹内街道が東西に、東に東高野街道が南北に走っており、その交差点「簑の辻」の北西にこの白鳥神社が鎮座しています。
当社から竹内街道を東に進めば石川があり、その先は近つ飛鳥を経て大和へと向かい、西へ進めば白鳥陵古墳(軽里大塚古墳)や軽羽迦神社があります。一方の東高野街道を北に進めば誉田八幡宮や応神天皇陵、少し離れて碓井八坂神社が、南に進めば安閑天皇陵や春日山田皇女陵、高屋神社があります。
「勝ち守り」の案内 |
鎮座地の古市は、明治の初めまでは古市郡古市村でしたが明治22年(1889年)に誉田村、碓井村、軽墓村を吸収合併。明治29年(1896年)に所属郡が南河内郡になり、大正5年(1916年)には古市町となります。当時の白鳥神社鎮座地は南河内郡古市町大字古市字北町となっおり、かつての古市村や古市町の中心はこの白鳥神社周辺だったようです。昭和31年(1956年)には高鷲町、埴生村、西浦村、駒ヶ谷村、丹比村と合併して南大阪町が発足。そして昭和34年(1959年)に南河内郡南大阪町が市制施行して南大阪市となり、即日改称して羽曳野市となりました。
日本武尊の白鳥伝説と深い関わりのある羽曳野市には、「白鳥」という地名もあります。これは白鳥神社の少し西を通る国道170号(旧道)より西の辺りで、その南西には白鳥陵古墳があります。ちなみに、現在この住所や交差点名に使われる「白鳥」は「しらとり」ではなく「はくちょう」と読みます。
祭礼
白鳥神社では7月の夏まつり、10月の秋まつりなど年間を通じて様々な祭祀が執り行われます。とくに10月は地車(だんじり)が出る「古市だんじり祭」があり多くの人で賑わいます。当社に宮入りするのは東町、西町、南町、北町、中之町、堂之内町の古市六町。
境内
現在、白鳥神社への入口は駅からすぐに参拝できる南側の竹内街道からの参道がメインのようになっていますが、社殿が向く東側には長い直線の参道と一の鳥居、二の鳥居があるので本来はこちらが正面で、白鳥神社は街道からの長い表参道を持つ神社といえます。
一の鳥居 |
東高野街道沿いには石造りの一の鳥居があり、その少し先には社号表があります。東高野街道からは、住宅街の中を全長約200mの真っ直ぐな参道が白鳥神社まで続いているのがわかります。
二の鳥居 |
市立古市小学校の横を通り西に進むと二の鳥居前に着きます。なお、小学校前には御神木もあります。
鳥居手前を左に行くと竹内街道 |
二の鳥居から階段を上ると境内に上がれますが、鳥居の手前を左に進むと境内を通らずに南の竹内街道側の参道途中とつながっています。
「白鳥宮廣前」と彫られた燈篭 |
東高野街道からの参道の先にある石段を上ってくると大きな一対の石燈籠があり、その先の広場の奥に拝殿が見えます。
境内から南を望む |
燈籠の間を抜け拝殿前の広場に出て左を見ると手水舎があり、さらに南の竹内街道から続く参道が見えます。
手水舎 |
手水舎には手水鉢と井戸があります。
竹内街道からの参道 |
南側の竹内街道からの参道は竹内街道沿いの古市駅東広場の隣にあります。こちらの参道は短く、右に「伊岐宮」、左に「白鳥神社」と刻まれた注連柱が立っています。なお、白鳥神社南側の街道沿いにある古市駅東広場には近年観光案内所が作られ、古市古墳群や神社仏閣をはじめとした様々な羽曳野市内の観光情報を得ることが出来ます。
南側参道から見た境内 |
南側からの参道は階段ではなく石畳のスロープ状になっています。
拝殿内部 |
社殿は奥の本殿の外観がはっきり見えないものの権現造のように見え、手前の拝殿は割拝殿となっています。
幣殿奥の本殿 |
拝殿からは幣殿の奥に本殿がかすかに見えます。右手の壁には「古市地車祭 宮入り順番」が掲示されています。
「伊岐宮」の扁額 |
拝殿の中、本殿側には「伊岐宮」と書かれた立派な扁額が掛けられています。
楠木正行の奉納絵 |
また、拝殿内の左手には昭和4年(1929年)1月に奉納された「博愛仁義 楠勢渡辺橋畔に敵の傷病兵を救ふ」と書かれた絵が掲げられています。これは楠木正行が正平2年(南朝)/貞和3年(北朝)(1347年)の住吉・天王寺の戦いの後、退却時に溺れて逃げ遅れた敵兵を助けて手当をし、さらに衣服を与えて敵陣へ送り帰したという逸話を表したものです。この渡辺橋での出来事は、父である正成が敵味方関係なく戦死者を弔った「寄手塚・身方塚」と並んで楠木父子のまさに「博愛仁義」の精神を現した逸話といえます。
拝殿北側にある境内社 |
拝殿に向かって右側には境内社が集まっています。まず最初の鳥居には「白長大明神」の額が掲げられています。白長はやはり「はくちょう」でしょうか。
白長大明神 |
最も手前にある朱色の白長大明神の鳥居をくぐると、さらに白長大明神前の数基の鳥居が並んでいます。
白長大明神 |
白長大明神は朱色の鳥居がたくさん奉納されていることから稲荷神を祀っているようです。
白長大明神左手の参道 |
白長大明神の最初の鳥居の左手、白鳥神社拝殿との間から短い参道を抜けると、白長大明神の背後に白龍大神と白玉大明神が並んで鎮座しています。
白龍大神 |
まず、左側に鎮座しているのが白龍大神です。
白玉大明神 |
そして右側にあるのが白玉大明神です。
白鳥と関係するのか、こちらの境内社は全て「白」から始まるのが興味深いです。
百度石 |
白鳥神社ではだんじり祭りがあるためか、拝殿前の広場は平らで広く、石造物などは境内の端の方に配置されているようです。神社でお馴染みの百度石は、東の鳥居から境内に上ったところに建つ大きな石燈籠の北側にあります。
境内の南西側 |
境内は周りより高い位置にあり、境内の西側は社殿と森になっていますが、木々の間からは下の方に近鉄線の駅や電車も見えます。
境外の南東にある忠魂碑? |
白鳥神社の前身の伊岐宮は峯ヶ塚古墳の上にあったともいわれていますが、現在の白鳥神社も古墳の上に鎮座しているとの説もあります。境内が円形であるのは前方後円墳の後円部の墳丘上に建てられたからという説で、前方部は現在の古市駅周辺の開発の際に取り壊されたともいわれています。
古市の白鳥神社は数奇な運命を辿りましたが、秋のだんじり祭りでは賑わうなど現在も古市の産土神として大切にされていることが窺える神社でした。
アクセス
近鉄南大阪線・長野線「古市」駅の東出入口南側から国道166号(竹内街道)を東に60mほど進み、古市駅東広場の東側に建つ注連柱をくぐると短いスロープ状の参道が続いています。
白鳥神社の正面である一の鳥居から参拝する場合も、同様に「古市」から竹内街道を東に進み、約400m先の交差点(古市六町蓑の辻会館の角)を左折します。そこから130mほど先の左側に一の鳥居があります。
古市駅東広場から見た白鳥神社(奥の森) |
車で参拝する場合、白鳥神社に駐車場はありませんが、すぐ近くに市営古市駅東駐車場というコインパーキングがあります(有料)。しかし、神社付近の竹内街道は東から西への一方通行のため、西から行く場合は国道170号(旧道)の「白鳥」交差点から北東(土師ノ里方面)へ約500m(「白鳥北」交差点からは約220m)進み右折します。踏切を越え300mほど進むと右側にコインパーキングがありあます(小学校の向かい)。このコインパーキングのそばに二の鳥居があります。
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