古室八幡神社
2021年11月訪問
古室八幡神社(こむろはちまんじんじゃ)は大阪府藤井寺市古室にある神社です。当社の周辺は令和元年(2019年)7月にユネスコの世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群 古代日本の墳墓群」に登録された古市古墳群に属する古墳が点在しており、鎮座地も同古墳群で2番目の規模を誇る仲姫命陵(仲ツ山古墳)に隣接しています。古室八幡神社(藤井寺市) |
古室八幡神社の1kmほど南の羽曳野市誉田には応神天皇陵(誉田御廟山古墳)と最古の八幡宮とされる誉田八幡宮がありますが、当社の鎮座する藤井寺市の東部には同じ八幡神を祀る八幡神社が多数あります。
歴史と概要
古室八幡神社の正確な創建年は不詳です。八幡神社ということで御祭神は八幡大神である品陀分命(ほんだわけのみこと=第15代応神天皇)となっています。
拝殿内の由緒記によると第107代後陽成天皇の御世に豊臣秀吉が全国的に検地を実施しましたが(太閤検地)、文禄3年(1594年)12月にこの地(志紀郡古室村)を検地した際、一部が古市郡誉田村(現羽曳野市誉田)の誉田神社(現誉田八幡宮)の社領となり200石を課せられ、その後に誉田八幡宮の分霊を勧請して当社が建立されたと伝えられています。
「御由緒」の一部 |
正保4年(1647年)5月に本殿が再建され、元禄9年(1696年)8月、享保3年(1718年)8月、寛政2年(1790年)9月に修繕されたことが棟札などから判明しています。
維新後の明治3年(1870年)9月にも本殿が再建され、明治5年(1872年)に近代社格制度で村社に列格。明治時代末期に周辺の神社に合祀されることはなかったようです。
昭和9年(1934年)9月の室戸台風で拝殿が破損し建て替えられ、昭和49年(1974年)には本殿も再建。平成12年(2000年)12月に境内環境整備、拝殿の補修工事が施工されました。
線路右手の斜面の上に鎮座 |
古室八幡神社境内の東から南東にかけて、全国で9番目、古市古墳群では2番目に大きい古墳である仲姫命陵の外堤(周堤)に接しています。仲姫命は応神天皇の皇后であり、第16代仁徳天皇の生母として知られています。一方の神社北西面の斜面の下には近鉄南大阪線の線路が通っています。ちなみに、当社の100mほど北東にある澤田八幡神社も仲姫命陵の外堤北西面に接していますが、こちらは近鉄線が境内を横切っています。
古室八幡神社の周辺を見ると、澤田八幡神社、土師ノ里八幡神社、国府八幡神社、津堂八幡神社と、藤井寺市内だけでも多くの八幡神社が氏神として祀られていますが、羽曳野市の壺井八幡宮の御分霊を勧請して創建された国府八幡神社以外は、誉田八幡宮から勧請されたものという説もあります(ただし、津堂八幡神社の縁起には同社が松原市にある深居神社から分祀されたとあります)。
古室八幡神社の鎮座地周辺は明治の初めまで河内国志紀郡古室村と呼ばれていましたが、明治22年(1889年)に、澤田村、林村と合併して新たに澤田村が発足します。澤田村は明治23年(1890年)に志紀郡道明寺村と合併し、改めて道明寺村が発足。明治29年(1896年)には所属郡が南河内郡となりますが、この当時の当社鎮座地は南河内郡道明寺村大字古室字南口となっています。
その後の道明寺村は昭和26年(1951年)に町制施行して道明寺町となり、昭和34年(1959年)に藤井寺町と合併して藤井寺道明寺町となりました。翌年には町名を美陵町と改称し、昭和41年(1966年)に市制施行して美陵市となりますが、即日改称して現在の藤井寺市となりました。
古室八幡神社は神職不在神社で道明寺天満宮の兼務社となっています。
境内
仲姫命陵は国府台地(こうだいち)と呼ばれる台地の最高所に築かれていますが、北側(北西側)周濠の外側は低地との境となっており、その斜面の一部が古室八幡神社や澤田八幡神社の境内となっています。台地の縁に沿うように低地に敷かれた近鉄南大阪線の線路から見ると高低差を感じることが出来ます。
参道入口 |
旧古室村の集落のあった古室1丁目から踏切を渡って南に進むと、ほどなく左手に古室八幡神社の玉垣と社号標などが見えて来ます。ちなみに、この道をさらに南に進むと仲姫命陵の拝所を経て旧誉田村付近で東高野街道に合流しています。
古室八幡神社の社殿は最も高い場所にあっては西南西を向いており、真っ直ぐの参道は45mほどあります。境内は階段状になっているので参道には石段が3ヶ所ほど設けられています。
鳥居 |
参道入口の短い石段を上り、10mほど進むと石造りの鳥居があります。鳥居には「文久元年辛酉十月」と彫られていることから文久元年(1861年)10月、また、鳥居の手前の石灯篭には「文化九壬申八月十五日」とあることから文化9年(1812年)8月15日に奉納されたということがわかります。
二つ目の石段 |
鳥居をくぐるとその先に再び石段が現れます。
拝殿前最後の石段 |
二つ目の石段を上ると左右に石灯篭がありますが、こちらは「宝暦四甲戌八月」と刻まれているように見えるので宝暦4年(1754年)のものと思われます。
正面には少し長めの石段とその奥に建つ拝殿が見えます。右手の方は広場のようになっていて児童公園(古室児童公園)も兼ねているようですが、左手の方は崖のようになっていて、すぐ下を近鉄線が通っています。
拝殿と狛犬 |
三つ目の石段を上ると目の前に瓦葺屋根の拝殿とその手前に置かれた一対の狛犬が現れます。
拝殿内から見える本殿 |
拝殿は割り拝殿となっていますが通常は扉が閉じられているので外から参拝することになるようです。
境内に当社の説明板などは見当たりませんでしたが拝殿内には「御由緒」が掲げられている他、神馬や楠木正成・正行父子が訣別した「桜井の別れ」を描いたものと思われる奉納絵馬も掲げられています。
南側から見た本殿 |
拝殿の奥には本殿といくつかの石灯籠などがありますが近付けません。しかし、拝殿の左右に回ると本殿を囲む塀の外側から立派な本殿の上部を見ることが出来ます。
南側出入口と玉垣 |
二つ目と三つ目の石段の間の広場を拝殿に向かわず、入口から見て右手(拝殿から見て左手)に進むと南側の出入口があります。境内の南面にも玉垣が続いており、これに沿って東に進むと仲姫命陵の濠があります。なお、神社の南側は古室ではなく沢田に属する住宅地です。
境内南側より |
境内南側は公園のようになっていて地域の人々の憩いの場になっているようですが、参道なども含めて境内には数本の桜の木も植えられていて春には花見も楽しめます。
気になる平たい石(ベンチ?) |
また、境内南側の広場からは石段ではなく、なだらかな坂道で社殿のある高さまで上ることが出来ます。
通路横に並べられた平らな石は、場所柄神社や古墳に関係のある石にも見えますが詳細は不明です。
大小の石灯篭 |
境内南側の坂道を上ると左手に本殿などが見えますが、右側には古い石灯篭が2基建っています。
南東側出入口と仲姫命陵の説明板 |
2基の石灯篭からさらに奥に進むと境内の南東側出入口がありますが、その真ん中に仲姫命陵の説明板があります。
石組みの台 |
南東側出入口の少し北側には四角い石組みの台のようなものがあります。
建物の土台跡? |
前の敷石などから、かつてこちらにも社殿などがあったと思われます。
境内北側から見える電車の一部 |
境内の北側は比較的急な斜面で木も多く、あまり立ち入る人はいないようですが、すぐ下を走る近鉄電車が木々の間から見えます。
古室地区の産土神として江戸時代から何度も修繕や建て替えが行なわれてきた古室八幡神社は、今も地元の人々によりしっかり手入れされた気持ちのよい神社と感じられました。
アクセス
古室八幡神社周辺の道路は狭いところも多く、参拝者用駐車場は無いようなので徒歩で参拝する方が良いと思われます。
最寄り駅である近鉄南大阪線「土師ノ里」駅からは、改札前の国道170号(旧道)と府道12号堺大和高田線(ヤマタカ線)が交わる「土師の里」交差点から府道を200mほど西に進み、信号のある交差点を左斜め前方に入ります。歴史を感じさせる街並みの中を約350m歩いて(澤田八幡前を通過)四つ辻を左折し、30mほど先の踏切を渡るとすぐ左手に玉垣と鳥居が見えてきます。
南側から見た鳥居前の道(右が神社) |
また、「土師ノ里」駅から仲姫命陵の周濠沿いから向かう場合は、改札を出て目の前の国道170号(旧道)を左(南)に歩きます。80mほど先の信号のある交差点を渡って西側の住宅地内に入り(鍋塚古墳のそばを通過)約80m進むと仲姫命陵周濠沿いの道に出るので、そのまま周濠沿いを西に約400m歩くと古室八幡神社の裏側から境内に入れます。
その他、国道170号(外環状線)「沢田」交差点から約250m東の信号を南に入り350mほど進むコース、応神天皇陵拝所から誉田丸山古墳、大鳥塚古墳、赤面山古墳、古室山古墳のそばを通って仲姫命陵前の道に出て左(北)に進むコースなどがあります。
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